1831_自分の不真実さと主の真実さ | 主が望まれるものの回復を目指して
主に対して顔向けできない 僕は教会の奉仕をする時に時々こう思うことがあります。それは「僕なんかを通して主が栄光を現わさなくてもいいのに」ということです。何メンヘラのようなこと言ってんだと思われると思います。しかし、僕は多…
キリスト教信仰
主に対して顔向けできない 僕は教会の奉仕をする時に時々こう思うことがあります。それは「僕なんかを通して主が栄光を現わさなくてもいいのに」ということです。何メンヘラのようなこと言ってんだと思われると思います。しかし、僕は多…
キリスト教信仰
ヤコブの手紙 先日ヤコブの手紙を読みました。ヤコブの手紙は僕にとって強烈な指圧棒で霊的なツボをゴリゴリ押される書物です。つまり、読んでいて痛いと感じるのです。なぜなら、僕は典型的な行動を伴わないに口だけのタイプのクリスチ…
キリスト教信仰
自分の祈りについて 昨日は主観ではありますが、実体験から福音派とペンテコステ派の違いの一側面について定量的に書いてみました。僕はペンテコステ派の教会で救われたので信仰の起源はペンテコステ体験にあります。聖霊のバプテスマと…
キリスト教信仰
定量化してみた 福音派もペンテコステ派も聖書を大切にしています。いずれも同じくらい大切にしていると思います。しかし、ペンテコステ派は祈りにも重点をおいています。これはこのような理解になると思っています。 たとえば、単純に…
キリスト教信仰
文字を読むという体験以上 昨日は聖書には力がありますが、その力がすべての人に等しく表れるわけではないと書きました。聖書の力を体験するためには知性で読むだけではなく、霊で聖書を読まなければならないと書きました。そして、それ…
キリスト教信仰
聖書の御言 キリスト教には様々な教派があります。そして教派によって強調される教義が異なる場合が多いです。しかし、おおよそどの教派でも共通にしている最も大切なことがあります。それは聖書です。聖書の権威、聖書の御言がキリスト…
キリスト教信仰
人に関心があるか? 昨日は「今自分の信仰はどのような状態にあるのか?」を確認するための「自分は今何にひかれているのか?」と自問することで自分の宝が何なのかが明らかになると書きました。今日は別の指標について書こうと思います…
キリスト教信仰
どのような状態 「自分の信仰は今どのような状態にあるか?」を確認するために僕はいくつかの指標を使っています。わかりやすいものでいえば「最近祈っているか?」や「聖書を読んでいるか?」などがあります。祈れば力があるが祈らなけ…
キリスト教信仰
沼に落ちる夢 僕は時々変な夢を見ます。先日は沼に落ちてしまう夢を見ました。体全体にのしかかる重い土から這い上がるのは非常に困難でした。顔も全身も泥だらけになり必死にもがくが、次第に落ちていくという壮絶な夢です。 これは僕…
キリスト教信仰
出勤の時に必ずしている習慣 僕は出勤の時に必ずしている習慣がいくつかあります。今日はそれを共有したいと思います。まず僕はこのような順序を経てオフィスに到着します。 家から駅まで徒歩 電車で移動 駅からオフィスまで徒歩 エ…
キリスト教信仰
へりくだり キリスト教信仰は「へりくだり」抜きにはありえません。それは「へりくだり」が悔い改め、自己否定、降参など主の前に出るために必要な多くの要素を内包しているからです。だから、すべてのクリスチャンにとってへりくだりは…
キリスト教信仰
美しい心象風景 いつまでも美しい心象風景として記憶として残っていることがあります。僕の場合、そのほとんどはある時の礼拝や集会の記憶です。主が深く心に触れてくださること、またご臨在くださることほど美しいものはありません。人…
キリスト教信仰
オーバーフロー 何度もこのブログで書いていますが僕のキャパはおちょこ以下のペットボトルの蓋程度しかありません。つまり、家庭、教会、仕事などでわずかなストレスですぐにオーバーフローしてしまうのです。過去にもほとんど同じよう…
キリスト教信仰
教会生活なくして信仰生活はない 僕はこのブログで一貫して教会生活なくして信仰生活はないと書いてきました。それは教会はキリストの教会だからです。クリスチャンは、イエス様を愛していると言いながら教会は愛さないということはでき…
キリスト教信仰
神様直通の祈り 先日のブログで異言の祈りは神様直通の祈りと書きました。 1802_なぜ異言の祈りは神へ直通するのか | 日常で深まる神との交わり もちろん、イエス・キリストの名によって祈られる祈りはすべて天のお父様直通で…
キリスト教信仰
自己啓発 僕は自己啓発が好きです。社会人になってから自己啓発にかなり投資してきました。お金がない時でも本を買い、無理してセミナーに参加したり音源を買ったりしていました。それには二つの理由があります。 一つは僕が社会人にな…
キリスト教信仰
人は時に揺れるもの 僕はいくつかの個人的な理由によりペンテコステ派である母教会から福音派の教会に行くようになりました。そこにネガティブな理由は少しもありません。僕は今もなお母教会を自分の本当の家族のように愛していますし、…
キリスト教信仰
ぶどう園のたとえ話 僕はこうありたいと思っていることがあります。それは、マタイによる福音書20章のぶどう園で5時に雇われた者であり続けたいということです。この話では途方もないほどの神様の憐れみと恵みの大きさと人間社会での…
キリスト教信仰
「考える」ことが少なくなった AI利用の弊害として本当に「考える」ことが少なくなったと感じています。以前は答えがほしければGoogle検索でしたが、今はチャットエリアを開いて瞬時に答えを得ることができます。僕は正直に答え…
キリスト教信仰
なぜ異言の祈りは直通なのか 以前僕は異言の祈りは神様直通の祈りだと書いたことがあります。下記記事で書いたようにほとんど0秒でイエス様とつながれるのが異言の祈りだと思っています。そしてそれ日常生活のあらゆるところで体験して…