1617_霊によらなければわかりえない恵み

心からあふれ出てくるもの

人間は肉においては、ほとんど事実しか認識できません。例えば、今年我が家に起きた赤ちゃんが天に召されるという出来事は悲しいことでしょう。確かに事実はそうです。しかし、真実においてはそうじゃありません。真実においては、平安、希望、喜びなのです。これは気休めでもポジティブシンキングでもなく、心からあふれ出てくるものです。

霊においては起きえなかったことも認識させてくだり、感謝を溢れさせてくださいます。僕はまだうまく表現できないのですが、それは人間には知りえない神様だけが知っている「もし、こうだったら」という最悪のパターンを恵みによって潜り抜けさせてくださっているということです。これは霊によらなければわかりえない恵みです。

主の恵みに慣れてしまう

それは魂の救いに関しても同じです。救われると良くも悪くも救いに慣れてしまいます。それは恐ろしいことです。なんと主の恵みに慣れてしまうのです。しかし、それを回避する方法があります。それは霊によって教えて頂くということです。

霊にいて「もし、こうだったら」と教えてもらう時に、今与えて頂いている環境、状況すべては感謝だと思わせて頂けるのだと思っています。そう思えるなら、「主の恵みは私に対して十分です」と告白できるようになるのだと思います。

魂の救い

僕は自身がどん底と思える時に、主が与えて下さっている魂の救いの喜びは変わらないということを教えて頂きました。状況は最悪、自分ではどうしようもできない。事実、現実を見れば救いもないと思える時であっても、魂の救いは数十年前に経験したあの新鮮さを伴って僕の魂に迫ってくるのです。

その体験こそが、「あぁ確かに主は生きておられる。またこの救いは確かに自身に成就した。だから、主が今回の難局も必ず道を開いてくださる」という信仰を与えてくれるのです。今回も本当にそうでした。

心を主に向ける時

主が与えてくださる恵みには数えることができません。それは意識しているものだけではなく、無意識のものもあるからです。しかし、いつでも恵みに感謝できることがあります。それこそが、自身の魂の救いです。これはすぐに意識可能です。心を主に向ける時に、感謝と賛美に溢れることでしょう。

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