1415_信仰生活のボトルネックが一つ解消された時のこと

ボトルネックが一つ解消

本日の聖日礼拝の説教で僕の信仰の中に存在していたボトルネックが一つ解消されて解放されるのを感じました。今日はそのことをシェアしたいと思います。聖書箇所はここでした。

悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
ペテロⅠ3:9

これはイエス様の生き方そのものでした。イエス様は裁きの座についても少しの言い開きもされませんでした。何よりイエス様は十字架上でこのようなとりなしの祈りをされているのです。

「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは何をしているかわからずにいるのです。」

キリストのような者

イエス様が復活したのち、弟子たちは聖霊に満たされてイエス様と共に歩み、それと同じ性質を持っていました。殉教したステパノは石で撃ち殺されるさなか、「彼らにこの罪を負わせないでください。」と祈りました。

またパウロもペテロも同じようなことを手紙で書いています。彼らは書いていただけじゃなくて聖霊に満たされ主と共に歩む中で自分の肉を無力化し、本当にキリストのような者として歩んでいたのです。

僕は仲間さえ祝福できなかった

僕は以前はこの御言を見るたびに、これは僕には難しいことだと思っていました。まず、僕の日常生活において、僕には自分に敵対する者がいません。しかし、それであっても、敵対していなくてもうまが合わないとか仕事で面倒な依頼をしてくる人がいたりすると、その人を祝福できなかったのです。つまり僕は敵を祝福するどころか仲間さえ祝福できなかったのです。

そして、もし、その御言を行えるようになりたいと願ってしまったら、僕の人生に敵が現れて僕がその人を祝福しないといけない試練が来ると思っていたのです。だから僕はこの御言には、そっと蓋をしめていたのです。

あなたはそれを求めるだけでいい

しかし、主はこのように語ってくださった気がしました。

「試練を与える与えないは関係ない。それはわたしが決めること。あなたはそれを求めるだけでいいのです。」

僕ははっとしました。なぜなら、僕は試練がくることをおそれていたからです。しかし、「ただ主のように生きたい」と主に求めたらいいのだと思ったからです。主と共に歩めば、そのようなご性質にあずかることができます。そして、そのご性質はすべてを内包しています。つまり、僕が日頃、仲間さえも祝福できなかったことも解決してくださると思いました。

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