1414_目じりとおでこのしわが深くなった

顔のしわが増えた

数年前から自分の顔面を鏡や写真で客観的に見て思うことがありました。それは「顔のしわが増えた」ということです。2年ほど前自分の顔面を写真で見た際、笑った時の目じりのしわが深くなっていることに気づきました。そして先日鏡で自分の顔を見たら、次はおでこのしわがしっかり3本線入っていたのです。

もう僕の顔面には若かりし頃の弾力性はありません。むしろ可塑性が高くなりもうもとに戻れなくなっているのです。歳とともに確実にしっかりしわが刻み込まれていってそれが自分の顔になっているのです。

自分の顔に責任をもつ

そんなことを思った時にある牧師先生が語っていた言葉を思い出しました。少し違うかもしれませんが、それはこのような内容のものでした。

人間は生まれた時の自分の顔に責任を持つことはできません。しかし、ある程度年がいってくると自分の顔に責任をもたなくてはいけません。なぜなら、あなたが普段している顔のとおりに顔は形成されていくからです。いつもイライラしている人はそれがその人の顔になります。いつも和やかで笑っている人はそれが顔に現れます。

僕ははっとしました。まさにそのとおりだと思ったからです。もし、僕がいつもイライラして毎日を過ごしているなら、僕の顔にはイライラした顔のしわが刻み込まれて取り返しのつかないことになると思ったからです。

恵まれた顔

僕が尊敬している牧師先生はみんなすべからずいい顔をしています。それはきっと日々、主との深い交わりをして主ご自身のご性質が牧師先生の顔に現れているからだと思っています。決して作った顔ではなくて、非常に恵まれた顔をしているのです。

もし、いつもイライラしていて起こっている両親のもとで子供がそだったなら、きっと子供もその影響を受けて同じような性質をもって同じような顔つきになるでしょう。それと同じように日々、恵みと憐れみと愛に満ちたお方を日々をすごせば、その性質と顔がその人にも現れてくるのだと思います。

霊的な風呂上がりの顔

僕の母教会の牧師先生はこのようなことを言っていました。祈って主との深い交わりをした後の顔、つまり、恵まれた顔のことをこのように言っていました。それは風呂上がりの顔です。これはすごく的を得た表現だと思います。なぜなら風呂上りとは肉体の汚れがさっぱりなくなってきれいな状態になっていることです。イエス様の十字架によって聖められて、主との交わりにおいて霊的にさっぱりした状態はまさに霊的な風呂上がりの顔なのだと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)