1082_あなたが一人でいる時の姿が本当のあなたの姿

あなたは一人でいる時に何をしていますか?

今週は先日ある牧師先生が言っていた言葉が頭から離れません。それはこういったものでした。

「あなたの本当の姿はどれでしょうか。あなたが一人でいる時の姿が本当のあなたの姿です。あなたは一人でいる時に何をしていますか?Youtubeを見ていますか?性的な欲望を満たす動画を見ていますか?自分を楽しませるために時間を使っていないですか?教会で過ごしている時、教会で礼拝して恵まれている時、あるいは家族と一緒にいる時があなたの本当の姿でないことを覚えてください。」

あたなはその時間を何のために使うでしょうか?

そして、このようにもおっしゃっていました。「もし一か月自由に使える時間が与えられたとして、あたなはその時間を何のために使うでしょうか?聖書を読めると大喜びするでしょうか?賛美できると感謝するでしょうか?多く祈れると喜ぶでしょうか?もし普段から聖書を読んだり、祈ったり、賛美していない人に1か月の自由な時間が与えられたとしても、その人は自分を楽しませることにしか時間をつかいません。だから聖書はこう言っています。小事に忠実な者は大事にも忠実です。」

つまり、普段の日常から聖書を読んだり、祈ったり、賛美していない人は時間があってもそういったことをしないということです。もし、ある人が祈る時間がないとか聖書を読む時間がないというのであれば、それは時間がないのではなく、そうしたいと思っていないだけということです。

一人で祈れていますか?

その先生はこのようにもおっしゃっていました。

「あなたが部屋に閉じこもって、そこで祈れないなら、それがあなたの今の姿です。」

最近僕は再度日常の引力に強く引かれてしまっていることを強く感じています。確かに聖書は毎日読んでいるかもしれません。しかし、祈れなくなっているのです。日常的な祈りはできます。しかし、まとまった時間、主と交わる祈りが最近できないのです。

自分を楽しませることに時間を使う

僕は主のために時間を使うことよりも自分を楽しませることに時間を使っていることを知っています。また、僕は奉仕がある時だけ主に熱心に祈り、奉仕がない時はほとんど熱心に祈らないことも知っています。

残念ながら、これが今の自分の姿です。心では本当に大切なことだけに時間を使ってそれにもっとコミットしたいと強く願っているにもかかわらず、自分は自分がしようと思っていることを全くできずにいるのです。

悔いるだけでなく改めること

パウロはこのように言っています。

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。
ローマ7:15

今僕に必要なのは反省して悔いるだけではなく、改めることです。

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