1472_いかにして問題を解くか
いかにして問題を解くか ジョージ・ポリアという数学者が書いた「いかにして問題を解くか」という本があります。僕自身は本は読んだことはありません。しかし、数学を学ぶ中でこの本に書かれている言葉が自身の信仰にも活かせると感じま…
いかにして問題を解くか ジョージ・ポリアという数学者が書いた「いかにして問題を解くか」という本があります。僕自身は本は読んだことはありません。しかし、数学を学ぶ中でこの本に書かれている言葉が自身の信仰にも活かせると感じま…
二通りのクリスチャンの生き方 二通りのクリスチャンの生き方ということについて今日も続けます。一つは完全に、あるいはできる限り主の似姿に変えられるべく、できる限りこの世のコンテンツに触れない生き方、一つはこの世のコンテンツ…
御言を守るということ 今日書くことはクリスチャンの中でも意見がきっぱり二つに分かれることだと思います。それはきよめに関してです。ここで僕は「●●してはいけない」という外部からの強制曲でのきよめを書きたいわけではありません…
サムソンという人物 最近は通読で士師記を読んでいます。今朝はサムソンの記述を読みました。サムソンの名前は現在においてもあらゆるところで見られます。たとえば、キャリーケースでSAMSONITEという海外メーカーがありますが…
これ俺じゃね!? 最近は通読で士師記を読んでいます。まだ序盤の数章しか読んでいませんが多くの学びを得られています。出エジプト以降、モーセ、ヨシュアと偉大なリーダーが続きましたが、それ以降は比較的小粒(僕がそう思っているだ…
サルでもわかる ここ数か月高校数学をゼロからやり直しています。僕の数学は中学レベルなので正直、参考書を読み解くのも一苦労です。これまで何度も「サルでもわかる~」的な参考書で再チャレンジしてきましたがいずれも挫折してきまし…
平日の可処分時間 このブログのサブタイトルは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」としています。このようにサブタイトルを掲げているのは、僕自身が今それをできていないから…
朝の黄金の時間 今月のはじめから資格試験に追い込まれた結果、強制的に朝型の習慣が身につき、結果的にこれまで信仰生活上の課題であった朝の黄金の時間を主にお捧げするということができるようになってきたと書きました。 1446_…
麦のようにふるいにかける 先日のCS説教で教えられたことを書こうと思います。聖書箇所はルカの福音書22章でした。ここでは最後の晩餐でペテロが三度イエス様を否定する予告されます。そして、イエス様が裁判にかけられる過程で、本…
心がけていること 今日はCSの説教をする上で心がけていることを書こうと思います。一つ目は講義をしないように気を付けています。その理由としては聖書の御言は知識ではなくて霊的なものだからです。確かに教師には聖書箇所や解説など…
原則知る前には戻れない 39年間生きてきて思ったことがあります。それは「知ったあとは知る前には戻れない」ということです。知るべきことは知り記憶に留めることは重要です。しかし、知る必要がなかったこと、あるいは知りたくなかっ…
初めて教えられた 聖書を読んでいて不思議に思うことがあります。それは何度も読んでいるにもかかわらず「初めて教えられた」ということが少なくないからです。去年も同じ箇所を読んでいるのに、去年は何も思わなかった箇所に今年は教え…
アイでの戦いにリベンジ 昨日に引き続き通読しているヨシュア記から書きたいと思います。本日読んだ箇所では前回敗走したアイでの戦いにリベンジします。ヨシュアは神が共におられて勝利できると確信するだけではなく、祈りによって神か…
神様の約束 最近は通読でヨシュア記を読んでいます。ヨシュア記には出エジプト以降、荒野での40年を経て次の世代の物語が書かれています。偉大な指導者モーセの次のリーダーになったヨシュアは途方もないくらいのプレッシャーがあった…
主は真実な心を求めておられる 先日のブログで主は嘘偽りのない真実な心を求めておられ、礼拝ではその心が大切だと書きました。 1452_福音派の教会は古典的な聖歌で賛美し、ペンテコステ派はワーシップソングで賛美する そのこと…
人生の転換点におけるピーク クリスチャン信仰とは救われた時がピークで救われた以降は下降線をたどっていくというようなものではありません。もちろん、救われた時のあの歓喜の原体験は何にも代えられないものです。しかし、それは決し…
おなかがいたくなるよ 先日こどもとお風呂に入っていた時に考えたことがありました。それはこんなことがあったからです。子供はよく湯船のお湯を飲みたがります。小さなカップに入れて飲む真似をする分にはいいのですが、時々、わざと本…
救われてから数年後 最近思っていることがあります。それは救われてから今に至るまでの想像もつかないほどの主のご忍耐とご愛に関してです。僕は救われた当時、主にお出会いし価値観が決定的に変えられる体験をしました。また礼拝の中で…
その瞬間だけ 最近教えられていることは「その瞬間だけ信仰心が熱くなっても意味がない」ということです。具体的に書きます。 たとえば、何か問題が起こった時には神様を求めますが、問題が解決したら神様を必要としないまでも、それほ…
バイアスとは 最近、このブログではちょくちょくAIの機械学習のプロセスを信仰に適用することを書いていますが、今日も書こうと思います。それはバイアスというに関してです。バイアスとは偏向や偏見、先入観などを指しますが、AIの…