日本の教会の低迷
上から目線の過激なタイトルのように思いますが、決して外から教会を眺めて教会の悪いところを指摘したいわけではありません。むしろ、その側にいる者として自分に対して書きたいと思っています。日本の教会の低迷は言われて久しいですが、その原因については各種論じられてきました。
現実面を見れば、少子高齢化、宗教に対する偏見の強さ、神道が根付いているなど言われます。霊的側面で言えば、聖霊に満たされていないがゆえに救霊の情熱がないなどいわれています。今日は全く違う視点から書こうと思います。
サンダー・シング
僕が尊敬しているクリスチャンにサンダー・シングがいます。彼はインドの伝道者で現代のパウロと言われている人です。若い頃キリスト教を迫害し、母の死をきっかけに絶望、自殺する直前に劇的にイエス・キリストに出会い回心し大伝道者になりました。彼はイギリスに行った時にことをこのように書いていました。
「イギリスはキリスト教国のため、素晴らしい国だと思っていた。しかし、実際は霊的にはどん底だった。思っていた国と違い失望した。」
上記は僕が以前書籍で読んだ記憶から書いていますが、おおよそこういうことを書いていたはずです。祈りの国ではなく普通の世俗の国だったのです。
瞑想と祈りによって霊性を高める
厳格なヒンドゥー教の家に生まれ、幼いころからヒンドゥー教の教師(サドゥ―)になることを目指していた彼は祈りや瞑想を身に着けていました。世俗に染まらず、瞑想と祈りによって霊性を高める方法を彼は知っていたのです。そのため、彼は祈る対象をキリストにするだけで祈りができたのです。彼は神秘主義者でり、スピリチュアルな人でもあります。
僕が今日書きたいことはこれです。日本の教会は「スピリチュアル」という言葉に対して拒否反応をもっています。西洋から入ってきたキリスト教は神学という学問として成立しており理性的です。しかし、僕は、キリスト教こそがスピリチュアルであるべきだと思うのです。
スピリチュアルに振れ切ったほうがいい
要は日本の教会は非常に中途半端だと思うのです。スピリチュアルにも振り切っていない、かといって、仏教のように高度に哲学的な世界観をもった宗教としても不完全です。創世記はどこか神話として片づけている。腹痛が治る奇跡は信じるけれど、大きな奇跡は信じていない。などです。
僕が書きたいことは、この際、スピリチュアルに振れ切ったほうがいいということです。何も、細木数子さんとかそっち側に振れ切るというわけではありません。むしろ、サンダー・シングのように世俗の影響を受けずに1日に何時間も祈るという生活をするということです。
祈りのチャレンジ
昨日は自身のスマホ利用について書きましたが、1日に何時間もスマホが触れるなら、祈れるはずです。これは僕自身に対して書いています。これから、祈りについてチャレンジを受けて行こうと思っています。