0097_廃人になった時に心に沁みるキリストの「山上の垂訓」

新しい環境に身をおいたり、新しいことに挑戦したりすると、適応していく中で失敗したり、悩んだりしたりするものです。失敗に落ち込んだり、適用できなくて焦ってしまったり、そんな期間が長く続いてしまうと、ついには自分の能力や対応に自信がなくなったりすることもあります。

僕の周りにもコロナの影響で転職をせざるを得なくなった人やこれからの先行きが不透明でどうしていいかわからず悩んでいる人がいます。僕は、新しい業務が複数あり、いずれも右往左往しながら、なんとか適用しようともがいています。

失敗して悩んで落ち込んだ場合、ポジティブになる自己啓発本や小説や映画などでぐっと自分を引き上げたり、あるいは、友達や家族に相談することでぼんやりとしていた悩みの霧が晴れていって、元気をもらったりすることもできます。

しかし、本当に底の底まで落ち込んでしまった場合は、前者の方法すらしたくなくなることもあります。もうずっと寝ていたいとか、誰にも会いたくないとか、何もしたくないとか、そういった気持になることもあります。

聖書はそのような時にどのように言っているでしょうか。聖書は、なんの根拠もないポジティブワードを口から出して自分を鼓舞しなさいとは教えていません。このキリストの言葉は慰めに満ちています。山上の垂訓として語られており、下記は一部抜粋です。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
マタイ5:3-5(口語訳)

幸せな人たちは、実は、心が貧しい人、悲しんでいる人と言っています。それは、イエス・キリストにあって、永遠の命の絶大な価値を知るからであり、慰められるからです。

また、幸せな人は柔和な人です。柔和な人は往々にしてあらゆる場面でぐっとこらえて、人間関係において、嵐が吹く前に嵐の沈めてくれています。周りは嵐を事前に防いでくれていることすら知っていません。表に出ない存在です。だから、どうしても、我道を行っている人や言いたいことを言っている人が楽そうに見えて、柔和な人は損をしているようにも思えます。

しかし、聖書は柔和な人こそ地を受け継ぐと教えています。神様はその柔和な心を覚えていてくださって、必ず、現実の生活において報いてくださるということです。

困難な状況にある時は、神に助けを求めて祈ります。そうすれば、神の永遠の慰めの流れの泉が、乾いた心の中に優しく染み込んでいくと信じます。

参考文献:みのお泉キリスト教会の説教みのお泉キリスト教会の説教