0591_教会の奉仕はどのくらいすべきなのか?

Contents

教会の奉仕

所属している教会から「来年度どのような奉仕ができるか?」を確認するチェックシートが配布されていたので、ここ数週間、自分がどういった奉仕ができるかを祈りながら考えていました。チェックシートには教会を支える様々な奉仕が記載されており、「どうしてもできない奉仕」にバツをつけるというものでした。

ある人の話によると、ほとんどバツをつけないで教会の運営に任せるという人もいれば、きちんと自分にできないものにはバツをつける人と様々だそうです。バツをつけるという行為がなんとも心痛むのがつらいです。

ただ、大切なことは奉仕とは喜んでするものです。自分が奉仕をする中で、その戦いに勝ってやることができるか?を基準に考えればいいと思います。もし、不平不満を言いながら、ぶつくさ言いながら奉仕するのであれば、それは絶対にすぐにやめたほうがいいと思います。

奉仕に関して体験したこと

奉仕に関しては、わずかながら経験があります。週に3回も4回も教会に行って奉仕をしたり、祝日休日は1日中教会のことをするというような生活も送ったことがあります。ただ、その結果自分に陥ったのは、不平不満だけでした。

「なんで俺ばっかり」とか「過労死ならぬ過奉仕だ」とか、何かにつけて文句を行って全く感謝な心で奉仕できなくなっていたのです。致命的なのは信仰が失われ、生ける真の神に仕えることができる栄えある行為だと思うことができなくなっていたのです。

奉仕をさせていただくにあたって

なので、「戦いに勝てる量」の奉仕にしなければいけません。悪魔は巧妙で「奉仕が少ないイコール信仰がないよね」とか「他の信徒の人に悪く思われるよ」とか人間的なささやきをしてきます。

それに対して、はっきりとNOといえる神様との関係をもっておかないとけません。なぜなら、たとえ、自分のキャパは小さくてみんなのように奉仕ができなくても、神様はそれができるから愛してくださっているのではなくて、そうでなくても、こんなにも愛してくださっているという確信がないとNOといえないからです。

安易に引き受けない

僕個人の考えは、無理な奉仕はその人を躓かせて、潰してしまうだけでなく、信仰までも失わせてしまう危険があると思っています。自分自身がそういった危機に陥って体験したことでもありますし、周りを見てそう思うからです。

だから、チェックシートには自分の時間的、肉体的、精神的、霊的に無理のない範囲で割と多めのバツをつけさせていただきました。「これからは若い世代に交代」とか言われても正直、僕はできる範囲でしかしないようにしています。それはかつて自分が潰れたことがあり、二度とあのような不信仰な状態に陥りたくないためです。

おっさん
■教会での奉仕は個人的な神様との交わりが土台になる

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)