1910_1日に何時間祈るかが大切なのではなく、何時間祈りたいと思うのかが大切 | 霊性を現わす
1日に何時間祈るか? このブログでは1日に何時間祈るか?ということに対して試行錯誤し霊的生活を実践してきました。クリスチャンの中には霊的なこと、神様との関係に関して定量的な目標を掲げることに違和感を覚える方もいると思いま…

キリスト教信仰
1日に何時間祈るか? このブログでは1日に何時間祈るか?ということに対して試行錯誤し霊的生活を実践してきました。クリスチャンの中には霊的なこと、神様との関係に関して定量的な目標を掲げることに違和感を覚える方もいると思いま…
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僕は変わらなかった 今日で聖霊のバプテスマに関することは一旦終わりにしようと思います。 https://jesus.tokyo/faith/1906_in-some-churches-the-baptism-of-the…
キリスト教信仰
異邦人にも聖霊は下る 今日も聖霊のバプテスマのことについて書きます。 https://jesus.tokyo/faith/1906_in-some-churches-the-baptism-of-the-holy-spi…
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聖霊のバプテスマ 昨日に引き続き、聖霊のバプテスマについて書きます。 https://jesus.tokyo/faith/1906_in-some-churches-the-baptism-of-the-holy-spi…
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バプテスマ 聖書には明確に二つのバプテスマがあると書かれています。一つは水によるバプテスマ、もう一つは聖霊によるバプテスマです。多くの場合、前者は悔い改めて信仰告白の時に受け、後者は信仰に入ってから受けることがが多いよう…
キリスト教信仰
必死で聖書を読む 僕は若かりし頃、このような信仰態度で奉仕をしていました。それは、聖書の話や賛美の奉仕がある前日や少し前から主の前に出て主からの語りかけを待つとうスタイルです。普段ほとんど聖書を読めていないので、必死で聖…
キリスト教信仰
当日の1週間前 先日CSのお楽しみ会で聖書の話とアイスブレイクのゲームをさせて頂くことになりました。僕は過去にCSの奉仕で下記のような失敗をしたことがありました。 1343_教会奉仕の失敗と指摘を受け止める姿勢 | 緩み…
キリスト教信仰
幼子らしいことを捨てること 昨日に続き「幼子らしいことを捨てること」について書きます。僕は自分の祈りの部屋に下記御言を書いて壁に掲げています。 コリント人への第一の手紙 13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な…
キリスト教信仰
幼子らしいこと 昨日は下記御言から「幼子らしいこと」についての二つの解釈を書きました。ひとつはこの地上でのキリストについて知れることは部分的であり幼子であること、もう一つは霊的成熟を目指して幼子から大人になるということで…
キリスト教信仰
部屋に掲げた御言 最近、自分の祈りの部屋に掲げた御言があります。それはこの御言です。 コリント人への第一の手紙 13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えてい…
キリスト教信仰
心の内におられる聖霊 先日、あわや自己中心性が爆発しそうになることがありました。物事を進める上で意見の相違があったのです。僕自身としては、これまで所属してきた複数の組織でもそのようにしてきたし、他のメンバーに聞いても賛同…
キリスト教信仰
スピリチュアル 「霊的なこと」と聞くとおそらく、神秘的、超自然的、奇跡、しるし、不思議などを想起されるのではないかと思います。それらに共通するのは現象です。見えないものを感じることができる、それが霊的なことと思われること…
キリスト教信仰
御言の味わい方 今日は僕が日々の祈りの中で実践している御言の味わい方をご紹介できればと思います。まず初めに僕はこれまで個人的な祈りに関して具体的な教育を受けたことがありません。おそらく、あなたの牧師先生が日々どのような祈…
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ワーシップムーブメント 昨日はペンテコステ派を中心としたワーシップムーブメントが変化しつつあるのではないかという持論を書きました。理由としては、パブリックな礼拝中心の信仰生活には限界があるからです。もちろん、聖霊の働きは…
キリスト教信仰
ワーシップムーブメント 2000年に入ってからのペンテコステ派のワーシップムーブメントには目を見張る勢いがありました。世俗化が叫ばれる中、若者を中心にリバイバルが起こり教会に若者が集うようになったのです。まさに霊的覚醒、…
キリスト教信仰
強く押し迫ってくる感覚 昨日は自身の信仰が成長しているかをどのようにして知ることができるのか?と言うことについて書きました。今日は僕の信仰観の変化について書こうと思います。まず、僕が救われた当時は聖霊の満たしや聖霊の導き…
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御霊で始めたのに クリスチャン信仰は主に導かれる以外に進むすべがありません。自分であれこれ考えて自分の力でやろうとしても失敗するだけです。それは聖書にあるように霊ではじめたのに肉で仕上げようとしていることです。 ガラテヤ…
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霊的実践 昨日は僕がずっとカトリックに対して抱いていた偏見を悔い改めたということを書きました。昨日も書きましたが、カトリックほど祈りや霊的実践に対して具体的で実用的な方法を提示してる宗派はないのではないかと思わされていま…
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偏見の塊 僕はこれまでカトリックに対してこれまで偏見があったことを悔い改めなければなりません。まず、ローマカトリックに関しては下記理由につき偏見を持っていました。近年明るみになった司祭や修道者による性的虐待の報道、聖母マ…
キリスト教信仰
この世への執着と真逆 昨日、僕は霊的な良いものを子どもに与え続け、かつ霊的な財産を残したいがゆえに長生きしたいと思うようになったと書きました。僕はこれまで長寿を望むのは肉的だと思っていました。なぜなら、それはこの世界への…