1360_一度肉の思いを優先させたらもう終わりか?
関係が希薄になる理由 「イエス様との深い交わりのある日々を送りたい。」と願うのであれば、祈りの場所と時間を日常生活の中で確保することが最優先されると思います。時間も場所も確保しないで「神様が本当にいるのかどうかわからない…
関係が希薄になる理由 「イエス様との深い交わりのある日々を送りたい。」と願うのであれば、祈りの場所と時間を日常生活の中で確保することが最優先されると思います。時間も場所も確保しないで「神様が本当にいるのかどうかわからない…
異言は当たり前という環境 昨日は異言の祈りについて少し書きました。今日も続けます。僕はペンテコステ派の教会で救われたので異言は当たり前という環境で育ちました。自身が小さかった頃は何も思わなかったのですが、理性が発達してく…
福音派の教会における異言の解釈 今日はキリスト教会では比較的センシティブな話題である異言について語ろうと思います。このブログでは何度も書いているとおり、僕のバックグラウンドはプロテスタントのペンテコステ派にあり、現在は福…
いい面も悪い面 現在、仕事をする上でGPT-4は僕にとって欠かせない存在になってしまいました。もちろん、いい面も悪い面もあります。目先のいい面に目を奪われてしまって、遅効性のある弊害から目をそらすのはだめなことだとわかっ…
放蕩息子の例話 イエス様は新約聖書で多くの例話をされています。たとえ話といっても、日本の寓話のように教訓がわかりやすいものばかりではありません。正直あるものは難解で、あるものは理解しやすいです。理解しやすい例話の中に放蕩…
苦難をどう対処するか 人生には大なり小なり苦難はつきものです。だからこそ、苦難にどう対処するかはすべての人にとって重要なことだと思います。ある人は無責任にも「神は乗り越えられる試練や苦難しかお与えにならない」と言いますが…
10代の頃 最近、年を取るとともに罪深くなったなぁと思うようになりました。自分が10代の頃にイエス様を信じた時は全く感じることがなかったようなので戸惑いすら感じます。 その理由として考えられるのは、今は当時持っていなかっ…
主に教えられていること ここ数か月、主に教えられていることがありあす。それは「すべて恵み」ということです。僕は愚か者なので教会の奉仕ややることが多くなってくると律法主義に陥ってしまいます。準備を十分にしないといけない、祈…
イエス様含めての3人での外出 先日は2歳の子供と二人で初めて電車で他府県へ遊びに行きました。想定される外出時間が5時間ほどなので僕にとっては大冒険だったこともあり、出発する前に子供と一緒にお祈りしてから出発しました。厳密…
「ごめんなさい」と言う言葉 最近、2歳の子供がよく「ごめんなさい」というようになりました。以前は何か悪いことをした時に「ごめんなさいは?」と言ってもなかなか謝ろうとしませんでした。「ごめんやさい」という絵本を読んだりして…
静かに近づくインフレーション 先日このブログのドメインを登録している会社からサービス維持調整費が再度変更されると連絡がありました。このサービス維持調整費はここ数年で何度も上がっています。数年前はいきなり10~20%程度徴…
自分がどういった存在であるのかを簡単に忘れてしまう この御言はいつも僕を正しい位置に戻してくれます。 いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっている…
信じることによって与えられるもの 好きな御言にこのようなものがあります。これはイエス様の十字架の赦しがどういったもので、何をもたらすのかが明確に書かれています。 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、…
肉を疲れさせてでも霊を恵ませるほうに価値をおく もしかしたら、一部のクリスチャンの方にとって、土日は決して肉において休息を得られる日ではないかもしれません。それは多くの場合、週末には様々な奉仕が入っているからです。特にク…
嫁さんの機嫌を損ねない 安定した家庭生活の秘訣について最近思うことがありました。その秘訣とは、家庭においては嫁さんの機嫌を損ねないようにすればある程度うまくいくというものです。もしかしたら、世の中の家庭の旦那さんももれな…
無教会主義はあり得ない キリスト教の考えの中には無教会主義と言われるものがありますが、個人的にはあり得ない考え方だと思っています。もしかしたら、ある人は「個人的に聖書の教えを自身の生活に適用したいだけだから教会はいらない…
自分はできていると思う 人間はどうも「自分ではできていると思う」というバイアスがかかりやすい生き物のようです。聖書を見れば律法学者やパリサイ人などはまさにそうでした。全く天の父の心を知らず実行もしていないのに、自分たちは…
教会の奉仕で失敗 先日、教会の奉仕で失敗してしまいました。教会で開催された外部子供向けのイベントで司会を任されていたのですが、そこで100%の力を出し切れなかったのです。だいたい毎回冒頭にPPTのアニメーションで作った渾…
クリスチャンになれば 誤解を恐れずに言えば、クリスチャンになれば、いつも心に平安があって幸せで楽しい日々が待っているというわけではありません。クリスチャンになっても、いや、なったからこその悩み、苦悩、苦しみがあることがあ…
一人で祈り続けて祈りぬいた時 このブログでは何度でも書いていますが、僕はペンテコステ派の教会で救われましたが今は福音派の教会に行っています。いくつかの事情が重なって福音派の教会に行くようになりました。当時、教会を変えるこ…