1528_主の導きを求める前の前提条件
霊においては良いもの 主の取り扱いを受ける中でつくづく思うことがあります。それは「変わりたい」と思っていても結局は主の導きがなければ結局は変えられることはないということです。主の導きと聞くと一見いいように思えます。確かに…
霊においては良いもの 主の取り扱いを受ける中でつくづく思うことがあります。それは「変わりたい」と思っていても結局は主の導きがなければ結局は変えられることはないということです。主の導きと聞くと一見いいように思えます。確かに…
イザヤ54章 今日は最近励まされた御言を紹介しようと思います。この御言を音読する時に魂は平安にあり、主への喜びで満ち溢れます。 「このことはわたしにはノアの時のようだ。 わたしはノアの洪水を、 再び地にあふれさせないと誓…
嫁さんの犠牲の上に 子どもと1週間ひと時も離れずに生活して教えられたことがあります。それは自身の信仰生活の基本が嫁さんの犠牲の上に成り立っているということでした。僕が朝、夜、祈る時間を確保できているのは嫁さんが子どもを見…
2歳の息子と二人っきり 最近は一週間ほど嫁さんが入院していて家にいなかったので、はじめて2歳の息子と二人っきりでまるまる1週間生活することになりました。正直、それが決まった時は不安しかありませんでした。それは現在の状態お…
言語化すること 僕はこれまで「言語化」ということにこだわってきました。それは言語化することによって見えなかったものが見えるようになり、ぼんやりしていたものが精緻化され、不要なものが排除されてデトックスされ、頭の中だけでは…
明け渡していなかったもの 昨日は「変わること」と「きよめ」と関係のことを書きました。さらに、きよめとは「主に明け渡す」という行為から始まるということも書きました。僕が明け渡していなかったものがあります。それは信仰生活です…
都合のいいもの 今日も人が変わることに関して続けます。僕はずっと変わりたいと思っていました。そして主にあって変わりたいとも思っていました。しかし、自身の内面を見ると、実は都合のいい願望であることもわかってきました。僕が変…
変えられ続ける このブログではキリストにあって変えられ続けることを信じて自身の信仰生活の試行錯誤を書いてきました。人が変わる前提として書いてきたことは、人は主によって自覚させられない限り自身が変わらないといけないというこ…
クリスチャンごっこ 先日僕は自分の信仰生活が「クリスチャンごっこ」にすぎないのではないかと書きました。 1508_結局僕がやっていることは「クリスチャンごっこ」に過ぎないのではないか? このような言い方をすると、きっと真…
霊的な生活を支えるもの 僕には聖書以外にも大切なものがあります。それは何が何でも失いたくないと思っているものです。それは僕の霊的な生活を支えるものです。そして主との交わりにも欠かせない大切なものです。僕はこれまでの人生で…
忘れがたいほどの幸いな時期 僕が39年生きてきた中で決して忘れることができない重要な期間が2つあります。一つは浪人していた時期、もう一つは会社を辞めて中国に行っていた期間です。忘れることができないのは決してつらかったから…
とりなしの祈り 最近はとりなしの祈りに関して学ばされています。どこの教会にも週報などに祈祷課題というものが記載されています。またそれだけでなくより個人的な内容に関して祈る課題のリストがあったりします。もちろん、それだけで…
それぞれが主を見上げる時 クリスチャンの夫婦として歩んでいて素晴らしいと思うことがあります。それは夫婦が主にあって一つになるということです。当たり前ですが僕は結婚する以前はそれがどういったものなのか、全く想像がつきません…
一言に弱いといっても 僕は自分が弱いから主が必要だと思っています。しかし、一言に弱いといっても様々なものが含まれます。たとえば、心が弱る、魂が弱る、罪に弱い、誘惑に弱いなどあります。僕はこれまで、どちらかと言えば後者に関…
主が訪問したい 昨日は教会が終わって夕方からあるCSの子どもの家に夫婦で訪問に行きました。それは祈る中で「主が訪問したい」と思っておられると心に強く感じたからです。その子はしばらく教会に来れていませんでした。日曜日の朝、…
薄っぺらかった 僕はこのブログを本音ベースで書いてきました。それは事実です。嘘偽りなく、正直に書くことで自分が本当に何を考えているのかが明らかになります。それにより悔い改めに導かれて、これまで何度も正しい方向へと導いて頂…
1秒たりとも 最近教えられていることは主により頼まなければ、1秒たりとも自分では立つことはできないということです。救われてからもこういった信仰をもっていたことはありました。しかし、自身が成長するにつれ、自分でできることが…
霊的な戦いについて 昨日に引き続き、霊的な戦いについて書きます。前提として肉の目で物事を見る時、霊的な戦いを意識することは決してありません。それは戦いが起きていることすらわかっていない状態です。戦うこともできません。それ…
各種法則に基づいた自然の結果 自分の周りで起きていることは、見えるところによると確かに原因と結果の原則に基づいていたり、各種法則に基づいた自然の結果であるように思います。それに対して人間は何もできないと思うようなことがあ…
クリスチャンごっこ 昨日は、僕の信仰は全く聖書に書いてある信仰のようではないと書きました。それはあたかも自身がクリスチャンごっこをしているような気分にさえなってきます。宗教的な行いはもう十分だと思います。昨日も書いたよう…