イエス様がいてくださっている
今、我が家は比較的大きな問題の中にいます。しかし、その中でも「幸いだ。感謝だ。」と思えることが少なくありません。それはひとえに今も生きておられるイエス様が共にいてくださるからです。しかし、それだけでもありません。信仰という一点において夫婦が一つになれるからです。
言い換えれば、それは夫婦2人の中心にイエス様がいてくださっているということです。僕は1人ではない。いや2人でもない。イエス様を含む3人なんだとしみじみと感じています。
結婚指輪
僕たち夫婦の結婚指輪の裏側側面には「K&J&A」と刻印されています。最初のKは僕の名前、Jはイエス様、Aは嫁さんの名前です。最初に指輪を作る人が不思議に思ったようです。「Jとはお子さんですか?」と聞かれたのですが、僕はイエス様と答えました。
正直、その時は、なんとなくそうしたいと思っただけでした。しかし、結婚生活をする中で確かに主が僕たちの中にいてくださるというのを体験しています。これは独身時代には決して味わうことのできなかった体験でした。
信仰による一致
イエス様が共にいてくださることで、信仰という根本的な人生の土台によって夫婦が一致することができます。僕たち夫婦は考え方も趣味も関心も全く違います。好きな食べ物も全く違います。一般的な好き嫌いでは決して一致できません。しかし、信仰によって一致できます。これは何にもまさる大きな恵みと思っています。
むしろ、このことこそが重要だとさえ思っています。いくら趣味や関心で一致できたとしても、人生における大きな問題で夫婦が一致できなければ意味がありません。実際、人生には意外とそういった問題がやってくるものです。人生の重要事項で一つになれなければ、これからも長く続くであろう結婚生活に大きな禍根を残すことになってしまいます。
三つよりの綱
聖書にはこのような言葉があります。
伝道の書 4:12
人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。
僕たち夫婦は弱いです。しかし、イエス様がいてくださるからどんな問題でも乗り越えることができます。そして実際的にはイエス様の導きの中、二人で祈って物事にあたっていくことができます。