AIが創作活動
昨日に引き続き、ChatGPTについて書きます。これまで人間がしてきた創造的な営みがAIにとってかわられることは間違いありません。あらゆる創作活動、絵画、詩、小説などAIはあたかも人間の感情が動かされた時にできる創作活動を瞬時に行うことができます。
先日テレビでやっていたのは、これまでSF小説コンテストをやっていたのですが、AIを使って創作活動をする人が増えたのでもうコンテストはやめたということでした。これは日本でも問題になっていて、読書感想文コンクールなどでもAIが使われる可能性が十分にあります。
不可逆的
こういった変化は不可逆的なので、ある程度の規制はとられつつも、「AIが使われている可能性があるよね」というのが前提の世界になると思います。つまり、率直に書くと、創作活動において人間の役割は限りなくなくなる可能性が高いと僕は考えています。
もちろん、創作されたそのものよりも、それを創作した人の物語、ストーリー、バックグラウンドなどが重要になると思っています。より人らしさを感じられる付加価値が必要だということです。
じゃあ、人間はどうなるのか?となると、僕はフィジカルに振り切れるのではないかと思っています。近年はWeb3がもてはやされており、メタバースやVRやNTFなどのキーワードが注目されていました。僕はもともと懐疑的で、フィジカルな存在である人間があらゆるデバイスを身に着けてデジタルに一体化するということに違和感しかありませんでした。
まずはフィジカル
確かに製造業や医療においては、オートメーション化などで人間の身体的な側面が機械にとって代わられています。しかし、ことスポーツなど身体と頭脳を高度に使う分野においては、AIも機械も人間の域に到達するのはかなり先だと思います。
だからこそ、人間はこれから認知的なところだけではなくて、フィジカルな方面でAIとの差別化を図るべきだと感じています。人間が生きている、存在しているということはフィジカルによって感じるものです。だからこそ、運動などはこれからもっと注目されると思います。
次はスピリチュアルに
しかし、それ以上に重要なことがあります。人間は心身をもつ存在でありつつ、霊的な存在でもあるということです。これから創造的なことも認知的なこともAIがするのであれば、より人間は人間である意味、つまり、神と同じ霊的な存在として創造されたことに回帰するべきだと思います。
どれだけ文明が進歩して、人間の仕事が奪われるとか、人間の存在意義がなくなるとかいった論調があっても、あなたはあなたで唯一無二の存在であり、何者にも変えることはできません。
なぜなら、想像された神はあなたを愛しすぎて命まで捨てることまでしてくださったからです。