一人で祈り続けて祈りぬいた時
このブログでは何度でも書いていますが、僕はペンテコステ派の教会で救われましたが今は福音派の教会に行っています。いくつかの事情が重なって福音派の教会に行くようになりました。当時、教会を変えることに関して「はい、わかりました」と即答できたわけではありません。数年間の祈りの時がありました。
それは僕にとっては霊的に厳しい戦いの祈りとなりました。ずっと雲に覆われていて苦悶の日々であったように思います。しかし、一人で祈り続けて祈りぬいた時には雲を抜けて、あたり一帯が開けて心に光が差し込み、平安がくるのを感じました。
この時はじめてこの道に進んでも大丈夫だという確信がきました。ですので、神様の導きによって今があることを確信しています。
それぞれが福音宣教に専念
キリスト教会では、確かに超教派と言われるものがあります。しかし、その活動は非常に限定的であり、実情としては、やはりペンテコステ派と福音派はほとんど水と油のような関係にあるのではないかと思います。
別にその関係が悪いわけではないと思っています。福音宣教のためにそれぞれが、それぞれに主のために働きをするという点に、干渉、関与せずの態度でいるほうが平和だとも思うからです。余計な摩擦は往々にして福音宣教に専念させることから離れさせます。
配偶者は福音派出身、僕はペンテコステ派
僕の場合、配偶者は福音派出身、僕はペンテコステ派、家庭や教会活動においてどのような摩擦が起こるのだろう?と思われるかもしれません。しかし、これまで教会でも家庭でも何の問題も摩擦も起きたことはありません。それは妥協しているからでしょうか?それは我慢しているからでしょうか?いずれも違います。
その理由として、第一に祈りによって始められたことだからです。第二に主が導いてくださっているからです。第三に主がいつも助けてくださっているからです。
イエスさまがいちばん
もし僕が、ごり押しで人生の扉を開こうとしたり、主の前に跪くことをしなかったり、主の御声を聞こうとしなかったら、たとえ教派が同じであっても間違いなく問題と摩擦だらけになっていたと思うからです。
だからこども賛美でもあるように、何歳になっても「イエスさまがいちばん」なのです。イエス様がいてくださるのであれば、人生は必ず安心安全平安だと思っています。
これから、どんなことがあっても、まず祈りによって物事を進められるように祈っていきたいと思っています。