イエス様はなんでもできる
お腹の中の赤ちゃんは生まれて間もなく亡くなる、もしくは、予定日前に亡くなる可能性が高いと医者から言われており、実際的な準備を進めています。葬儀屋との打ち合わせ、どのようにお葬式をするのか、骨壺を買ったりと実感がないまま不思議な時間を過ごしています。
このように、準備は進めているのでが一つのことがあります。それはイエス様はいつでも赤ちゃんを癒すことが出来るお方だということです。また、たとえ赤ちゃんが亡くなったとしてもイエス様は赤ちゃんをよみがえらせることすらできます。
イエス様の愛から引き離すことはできない
大切なことは主権は主にあるということです。それをするかどうかは主ご自身が決めることであり、ちっぽけな人間がどうこういう話ではありません。主の御心がそうであるならば癒されますし、そうでないなら癒されることもないでしょう。
たとえ、自分の希望のとおりにならなかったとしても、僕のイエス様に対する態度は何も変わりません。もちろん、心が弱ったり気落ちしたりすることはあります。それは避けられません。しかし、何ものもどのような状況も僕をイエス様の愛から引き離すことはできません。
決して変わらないもの
「なぜ、祈りを聞いてくれないのですか?」という気持ちは誰にでも起こるものだと思います。しかし、そう思う時でも主は確かに聞いてくださっています。それは願いどおりになるという意味での聞くではないかもしれません。確かに主は知ってくださっており、寄り添ってくださるお方です。
僕はこの一件が起きてから、なぜか、自分の救いに関して思いを馳せるようになりました。それは、きっと決して変わらないものがほしいと思ったからだと思います。普段生活をしていると、死を意識することはないですが、死は確かに身近なものであり誰一人として避けられるものでもありません。
決して変わらないもの
その厳然たる事実に直面する中で、永遠に残るものに対する渇望が強くなってきたのです。それはまさに魂の救いです。なぜ魂の救いが決して変わらず永遠に続くものだとわかるのでしょうか。それは救いの喜びは決して尽きることはないからです。
この世が与えてくれる楽しみは尽きてしまいます。次の楽しみを探し続けないといけないのです。しかし、主がなしてくださった魂の救いこそは、あれからもう20年以上も経過しているのに、今でも鮮明、かつ新鮮な大きな感謝と喜びが溢れてくるのです。
魂の救いは永遠に続く
これこそが魂の救いが永遠に続くことの証拠です。決して尽きることがないのです。