飼育している観葉植物が可愛くて仕方がない。毎朝、様子をみて、土が乾いていたら、適切な量の水をやり、葉先に元気がなくなってきたら、栄養剤を与えたりして、成長するように世話をしている。ぱっと見ただけではわからないけど、ほんの少しづつ成長しているのがわかる。その小さな成長が僕の喜びでもある。
柔らかな新芽が出て、若枝になり、上へ上へ成長していく。樹齢何百年という大樹の幹が太くなるのも、毎年、寒い冬を超えているからだ。年輪を作り、大木へと成長していく。自然の世界はいつも少しづつが原則。それが、自然の法則。
神様が創造されたものは、すべて自然の法則下にある。人間が成長するためにも、少しづつが合っていると思う。うさぎとかめの寓話もそうだ。たとえ、のろまで足が遅くても、かめはコツコツと歩みを進めてうさぎを追い抜いた。毎日少しづつ、微差の積み重ねが大きな差となり成長となる。
また、神様が物事をなされる時の時間軸は、時にとても長い。アブラハムが100歳になった時に、神様の約束がようやく彼の身に成就し、イサクが与えられた。モーセは80歳の時に召されるまで、荒野で羊を飼っていた。ヨセフはエジプトの宰相として国を治める30歳の時まで苦労に苦労を重ね続けた。
だから、今の状況が良くないと思える時でも、神様の時間軸で、焦らず、待つ。神様の大きな手の中にある小さな人間として、安んじていよう。神がすべてを支配しておられる。時が来れば、必ず、実を結ぶ。毎日、少しづつ、御言のパンを頂き、聖霊の水で心を潤していただく。そして、日々、微差の積み重ね。からし種の信仰があれば、時がくれば鳥を宿す大樹となる。
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、 それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
マタイ13:31-32(口語訳)