0513_説教を「ながら聴き」するのは正しい態度か?

説教を聴くのは週に1回?

僕は普段、比較的いろいろな先生の説教を聞きます。お、これは!と思った先生の説教は日本語、中国語に関わらず聴くようにしています。正座して襟を正して聞く場合はそれほど多くなく、割と、何かをしながらBGM的に聴くことが多いです。

時には家事をしながら、時には仕事をしながら、時には通勤電車の中で説教を聞きます。なかなか日常で忙しいので、しっかり座って心を静めて聴くということができていませんが、実はこういった日常の中でも神様の御言に励まされて、その御言のエッセンスを汲み取ったりして、力が与えられることがあります。

どこでもいつでも

今はYoutubeで様々な説教が聴けるようになりました。ただ玉石混交です。中には霊的な説教というよりも、政治よりな説教もありますし、さらに、異端といわれる間違った教えを語っているチャンネルもあるでしょう。

ですので、あんまり何にでも際限なく手を出して聴くと、自分の軸がぶれてしまう危険性があります。悪い場合は、よくない影響を受けることもあるかもしれません。

だから、まず聴く前に教会と牧師先生の名前を調べて、どこの教団でどこの神学校を卒業したのかを確認することをおすすめします。だいたい教会のホームページには、どこの神学校を卒業したかがプロフィール欄に書かれています。もし知らない神学校だったら、その神学校を調べて、公式サイトでどういった教義なのか?どういったルーツを持っているのか?を確認するとより明確になってきます。

キリスト教プロテスタントといえども、重視する教義や礼拝の方法など表面に現れるところは様々なので、できる限り「自分に近い」と思えるところの説教を聴くことがいいんじゃないかと思っています。

もしかしたら、ある人は「それは経歴で判断して差別じゃないのか?!」とおっしゃるかもしれませんが、これは自分を守るための手段としています。

説教を聴く態度について

先日、ある先生に、説教を聴いて恵まれたことをLINEで連絡しました。僕はその時、厚顔無恥でアホなので、いつも習慣で「イヤホンで聞きながら仕事をしていました」という内容をうっかり伝えてしまったのです。

説教というものは説教者が祈りぬいて準備したいわば血と汗の涙の結晶のようなものです。神様からの言を祈りぬいて授かって、預言者としての働きをされているのです。ですから、そういった説教者が準備したものを「イヤホンで聞きながら仕事をしていました」というのは、大変失礼な行為ではなかったのかと反省してしまいました。

ただLINEは既に送って既読にもなっているので、撤回もできません。僕はどういった反応をされるのだろうかと気が気でありませんでした。僕は重ねるように間違った態度でしたというLINEを送りました。

その先生から返ってきたメッセージはこのようなものでした。

イエス様が野原で福音を語られたように、街かどで、道ばたでも福音を語られたように、っていうことは、それぞれの生活スタイルの中で、心してお聞き頂ければ幸いです!

なるほど〜と思うと同時に、寛容な心で受け入れてくださり、さらに「ながら聴き」も悪いことじゃないよとおっしゃっていただけて本当に励まされました。

おっさん
■今はどこでも説教を聴けるいい時代

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)