1586_「主は良いお方」という言葉を素直に受け入れられない時

なぜ自分は?

自分自身が試練の中を通っている時に「主は良いお方」や「主は気前のいいお方で良いことをしてくださる」という言葉を聞くと反射的に素直にその言葉を受け入れられないということを経験しています。もちろん、主は間違いなく絶対的に主は良いお方です。それに違いはありません。

じゃあ、「なぜ自分は?」と言いたくなるようなことが起こるのでしょうか?ある人はのほほんと生きており、なぜ自分は苦しい思いをしないといけないのか?と思ってしまうことがあるのでしょうか?主は決して分け隔てをされる方ではないので、むげにあなたを苦しめるようなことはなされません。必ず主のご計画があり、主のなされることはすべてその時にかなって美しいという原則の中にあるのです。

肉で受け取らない

では、受け入れられないと思う時はどうすればいいのでしょうか。それは、主の御言やご性質を肉で受け取らないようにするということが必要になります。

そもそも、肉で主の御言やご性質を受け取ること自体が間違っています。このブログでは何度も御言は霊で味わうべきものだと書いてきました。だからこそ、もし冒頭のように反射的に受け入れられないと思った時は間違いなく肉が活性化している証拠です。

御言にアンカーを下す

僕はここ数か月、ずっとこのことを繰り返してきました。それは、目に見えるところ、現実、人の言葉の強力な引力に対して、御言にアンカーを下して抵抗することです。そのためには肉によらず霊によらなければならないということも経験してきました。

たとえ、一回様々な引力に勝てたとしても、また新たな現実、言葉に翻弄されそうになります。もし、御言がなければその度に引きずり回されていたことでしょう。確かに御言は霊的なものです。たとえ、肉が活性化している時でも御言を積極的に読むのであれば肉の働きが沈静化するのを経験します。

自分自身を奮い立たせる

時に今自分が直面していることは自分自身にとって大きな痛み、悲しみ、絶望のように感じることがあります。しかし、それも何度も書くように肉で受け止めてしまうからです。だから、主の御心、ご計画、御言、ご聖霊をいつでも霊で受け止めて、「主は良いお方」と霊によって告白できるものになりたいと思っています。

そのために必要なことは素直に主の前に出て祈ることだと思います。今日も自分自身を奮い立たせるために自分のために書きました。

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