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奉仕するにあたって
先日今週は大切な奉仕があると書いていました。この奉仕をするにあたってこのように祈っていました。
その週は体調を崩したり何かと弱さを覚えることがありイエス様に頼らざるをえない週でした。しかし、神様の憐れみによって、準備やアイディアが与えられてそれなりに入念に十分に準備して奉仕に望むことができました。
霊的な戦い
奉仕の前は霊的な戦いがあります。それは体調が悪くなることもありますし、仕事から家庭から起こってくることもあります。しかし、霊的な戦いに慣れてくると何かが起こっても「あ、これは攻撃だから気をつけよう」と対抗できるようになります。
だいたい心穏やかになれない出来事が起きて心が乱されそうになるのですが、そうなった時はすぐに主に祈って平安を頂いて揺さぶられないようにします。
奉仕後に要注意
今回もそのように乗り切りました。そして実際の奉仕ではただただ神様のゆるしの中でさせていただいたと思いました。いつもなら、奉仕が終わって魂も恵まれて解放された「やったー!」となるのですが、今回はそういうわけにはいきませんでした。
というのも、僕は人の言葉を真に受けてしまったのです。おおよそ、どのような組織にも何をやっても文句やできていないところだけしか言わない人がいるものですが、今回は油断してしまっていて、そういった人の言葉にやられてしまったのです。
奉仕が終わって魂が恵まれるどころか、ずーんとなってしまったのです。これは僕のマインドも間違っていたのですが、どれだけ救霊の思いをもって祈っても準備をしても結局何か言われるんだと思うとすごく悲しくなってしまったのです。
しかし、それは冒頭の祈りが聞かれた証拠でした。
祈りは聞かれるけれど
もし、僕が人のネガティブな言葉をもらっていなかったら、僕は高慢になっていたかもしれません。神様は僕がへりくだることができるようにその人を通してそのようにしてくださったのだと思いました。
もちろん、ずーんとなっているだけではありません。神様は大きな憐れみによって御言によって励ましてくださいました。それによって、もう一度立ち上がって人の言葉を気にせずにやり続けようとおもえました。
へりくだりの道は正直非常にきついです。しかし、僕が今通っているへりくだりの道はまだまだビギナーレベルで、イエス様が歩んだへりくだりの道に比べたら屁みたいなものです。
祈りは聞かれるということを改めて体験した奉仕でした。