動画やゲームなどのデジタルコンテンツの需要が高まっており、売上を伸ばしているようです。実際、巣ごもりでも楽しめるコンテンツが溢れています。ニンテンドーSwitchは品薄が続いており、コンソールゲームではFF7のリメイクが発売されたりとAAAコンテンツも充実しています。休日にゆっくりプレイをする人もいれば、毎日少しづつする人もいると思います。
例えば、スマホゲームなどは1日に1回ログインをしてボーナスを受け取って、少しばかりのタスクをこなすのに数十分で済むものが多いです。毎日積み重ねている感覚と報酬などはプレイする人に満足感や達成感を与えてくれるものです。
ゲームでクエストを攻略したりすると最後にリザルト画面が表示されます。例えば、クリアするのにかかった時間、敵を倒した数やクリティカルの数、アイテム取得の数など様々な項目によって、評価が下されます。例えば、このような感じです。
- クリア時間:B
- 敵を倒した数:A
- クリティカルの数:C
- アイテム取得数:A
- 総合評価:B
このリザルト画面が人生を終えた時に表示されるとしたら、どういった項目が考えられるでしょうか。それは、それぞれの価値観によって目指すべき項目が変わると思います。ある人は生涯収入かもしれません。ある人は起こした事業かもしれません。ある人はゲーム内評価かもしれません。ある人は子育てかもしれません。
聖書の価値観によると、その項目には、例えば、信仰、希望、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制などの項目があるかもしれません。神の栄光を現したか、神と人に仕えたか、神の御心を現したか、などが考えられます。
ゲームに関しては、ゲームデータは運営会社のものであり、自分のものにならない上、結局は0と1の羅列にすぎないものであってもです。だから、それに時間を費やしても無駄だと言う人もいるかもしれません。しかし、ゲーム内じゃなくて、ゲーム外の現実世界においても聖書の価値観から外れたことに時間を投資しても無駄になることがあるかもしれません。
もちろん、浪費、消費、投資に何になるかは絶対的なものではなくて、その人の価値観によって変わります。しかし、日常生活の忙しさにそういった人生を終えた時のリザルト画面を想像してみると、本当に大切なものがなにか教えてくれます。
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと。
コリントⅠ15:3-4(口語訳)
最も大事なことを伝えることを忘れずに今日も生きます。