キリストが共にいること
先日ふとした時に、キリストと共に歩むことと彼に栄光を帰し続ける理由が明確になった気がしたので、書いておこうとします。キリストと共に生きるということは、もう二度と一人で生きることではありません。あらゆる場面で、あらゆる時に、キリストの意志が人生に反映されるようになります。
これまではもしかしたら、自分の意志だけが反映される人生だったかもれません。「あの時に自分の判断があのようなことを招いたのだ」とか「あの時の意思決定がなければこんなことになっていなかった」などと思うことがあるかもしれません。逆に素晴らしい意志決定をしていれば、自分の英断を誇りたくなるでしょう。
それは一人で生きているから当然のことです。
会社としての意志となる
しかし、会社はそうじゃありません。一人の社員の意志が反映されるというよりも、すべてが組織の意志決定とみなされます。だからこそ会社はコンプライアンスを重要視しており、たった一人の社員が変なことをしたり、言ったりしないように注意するのです。
自分一人だけでは意志決定が難しい場合でも、組織では、みんなで相談してよりよい判断をすることができます。もし、自分が担当する仕事で状況が悪くなったとしても、みんなで相談して、解決方法を見出すことができれば、一人では乗り越えられなくても乗り越えられるようになることがあります。
乗り越えられたのは、自分の力ではなく組織の力です。もし、そこで、自分の担当する仕事で乗り越えられたことを自分の力だと思ってしまうなら、高慢になってしまいます。もし、この組織のメンバーがいるからこそ今の自分の仕事があるんだと思えるならより組織への愛と結束力は強くなると思います。
家庭としての意志となる
おそらく家庭というものもそうでしょう。二人で協力して、二人でお互いの弱い所を支え合うことができます。自分ひとりだけではできなかったような判断を二人ならできるようになります。
もし、自分ではどうするべきかわからなくても、パートナーが最善の案をだしてくれるかもしれません。それを実行するのは自分ですが、それはパートナーのおかげです。そこでパートナーに感謝し、共にいれることを喜ぶのです。
キリストの意志が反映される
最初に書いたようにキリストと共に生きるようになると、あらゆる場面で、あらゆる時に、キリストの意志が人生に反映されるようになります。もし、イエス様の意志が反映されてきたからこそ今があるというのに、もし自分のちからで今があると思うなら、それは大いなる勘違いです。
会社という組織でも家庭という場所でも、誰かが支えてくださっているから問題を乗り越えられるように、イエス様がいるからこそ人生の困難を乗り越えられるのだと思いました。