今日は6月中旬で、今年ももうすぐ半分が終わります。2月ごろからCOVID-19の影響で一瞬にして日常が非日常に変わりました。しかも、その変化は一時的なものではなくて、不可逆的なものとなりました。理解しているようで、まだ正しく理解できている気がしません。
そして、心の整理がつかないまま、新年度をむかえました。毎年当たり前のようにしていた桜を鑑賞すること、陽光の中で新緑の力を感じることなど季節を感じる間もなく6月を迎えています。
当たり前のことですが、季節は1年に1回しか巡りません。この人生において、季節を感じることができるのがいかに当たり前でなく、尊いことであるかを思い知らされました。
そして、神を褒めたたえることができること、集会に参加できること、仕事ができること、大切な人に会えること、すべてが神様の赦しの中でできていたことだと改めて深い実感とともに理解できるようになりました。
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
マタイ10:19(口語訳)
すべてのことは、神のゆるしの中で起こっていると信じます。そして、目に見えるものにではなく、見えないものに目をそそぎます。
その父の御心を理解しようとも思いません。ただ、神にすべてを委ねて受け入れることをしたいと思います。これまでは「神にゆだねる」と言いながらも、あまりにも自分の力でやっていました。
こんな時だからこそ、「主は良いお方」だと褒めたたえて1日1日を生きたいと思います。個人的に世界で一番美しい詩。なんども救われた詩。詩編23篇が今日も魂に平安を与えます。
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
詩編23:1-2(口語訳)