0741_妻のために自分に死んで仕えることは無理ゲー!?

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夫婦関係は神秘

夫婦関係とはとても不思議な関係です。「それを言っちゃおしまいよ」かもしれませんが、言ってしまえば、血の繋がりも何もない赤の他人にすぎません。しかし、なぜか何十億という人の中からこの人を選び、生涯のパートナーを選ぶのです。性別も年齢も性格も趣味も教育も考え方も全く違う相手と共同生活をするのは神秘と言ってもいいと思います。

それぞれが、それぞれに夫婦関係があり、うまくいっているところもあれば、うまくいっていないところもあると思います。しかし、現代の自由主義の中で相手を自由に選べる環境においては、誰一人うまくいかない前提で結婚する人などいないと思います。みんなうまくいってほしいと願って配偶者を選ぶと思います。ではうまくいく秘訣は何なんでしょうか。

聖書の教え

妻の気持ちはわからないので、夫の立場からだけ書きます。まず聖書を読めば夫が妻に対してどうするべきかが書いてあります。そこには、キリストが教会を愛したように夫は妻を愛するべきと書いてあります。つまり、夫は妻のために死になさいということです。キリストがご自身の命を捨てるほどに愛してくださったように夫も妻を命を捨てるほどに愛するのが聖書の教えです。

それを実際の夫婦生活に落とし込むとどうでしょう。日々、自分に死ぬということです。あらゆる状況で、あらゆる局面で、イライラしている時でも、忙しい時でも、妻に命を捨てるほどに仕える言動を取るということです。これは僕にとってはどう考えても無理ゲーです。素直に謝りたくないこともあります。相手が悪いんだと言いたくなることもあります。自分というものがムクムクと顔を出してくるのです。

キリストに仕えること

しかし、実は、この生き方とはキリストに仕える生き方と全く同じなのです。もし、目の前にいる、何の血の繋がりもない妻に対して自分に死ぬことができないというのは、つまり、キリストに対しても死ねていないということです。だから、キリストには仕えるが、妻には仕えることはできないというのは、ありえないことです。

もし、僕が教会で表向きは敬虔で信仰深く生きているように見えていたとしても、もし、家庭でそういった生き方ができていないなら、僕の信仰は何の役にも立たないでしょう。

すべての起点

だから、まずは会社ではなく、地域ではなく、教会ではなく、家庭からキリストに仕えることはどういうことかを学びたいと思います。上述したように、僕には無理ゲーです。だから、祈るしかありません。どうか、キリストにあって、自分に死に、心から妻に仕えることができますように。

おっさん
■まずは家庭から

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