1331_控えめに言ってこの世界で最も素晴らしい時間

一人自由時間

先日の土曜日は久しぶりに半日の一人自由時間がありました。数か月に一回あるかないか程度なので毎回いつも楽しみにしています。だいたいは、銭湯に行ったり、ランニングに行ったり、どこかへ行って本を読んだりすることが多いのですが、今回はいずれも心惹かれませんでした。

というのも、ここ数か月僕は日常の引力に強く引かれてしまっていて、イエス様との関係が希薄になっていたからでした。普段も頭では関係を取り戻さないとと思うのですが、いかんせん、肉がいうことを聞かず自分の好きな通りに時間を過ごしてしまっていたのです。ですので、今回の一人時間は祈りに徹しようと思っていました。

浅い眠りはとても心地よい

昼前に嫁さんと子供を見送り部屋に閉じこもろうと思いました。がしかし、急に眠気が来ました。とりあえず12時まで寝ようと思ってリビングで横になりました。涼しい秋らしい気候の中で浅い眠りはとても心地よかったです。このまま寝たい気持ちになりましたが、これは祈りを妨げようとするものだと確信しました。

急いで起きて目を覚まさせるために頼まれていたお使いに先に行く事にして目を覚ますことにしました。買い物を済ませて1時半くらいに帰ってきてようやく部屋に閉じこもることができました。これで祈ることができます。

イエス様にすべてをゆだねる

部屋にこもって周りも時間も気にすることなく数時間祈りました。僕は強く握っていたものを離し、イエス様にすべてをゆだねることにしました。それはずっと頭では手放さないとと思っていたものでした。しかし、肉の力は強く自分の力では手放せなかったのです。

しかし、イエス様の十字架の力はそれから解放してくれました。イエス様は救い主、慰め主、癒し主、励ましてくださるお方、力を与えてくださるお方、立ち上がらせてくださるお方という信仰がやってきてそれを何度も祈りの中で告白しました。

祈りは至福の時間

そうしていると心がすっと軽くなり、散らかっていた心の部屋が次々に整理整頓されていくのを感じました。僕にはイエス様がおられる。それは妄信でも思い込みでもない。確かに心の中にイエス様がいてくださると実感しました。

この時間は僕にとって回復の時間となりました。控えめに言ってこの世界で最も素晴らしい時間だと思いました。母教会の牧師先生が常々、祈りは至福の時間だと言っていましたが本当にそうだと思いました。

力のあるお方

現代は日常を普通に生きているだけですぐに心が不安になってしまいます。しかし、イエス様はそのすべての不安や恐れから解放してくださる力のあるお方です。

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