真の習慣
昨日は辞めたいと思っている「悪い習慣」について書きました。習慣には行動習慣、思考習慣がありますが、それぞれ並列に独立しているのではなく上位に思考習慣がきます。早寝早起きなどは生理的なもので思考とは切り離されており行動習慣のようにも思えます。しかし、「なぜ眠いのに早く起きるのか?」に答えるには思考が必要です。
つまり、思考習慣が前提にあり、それが行動習慣に落とし込まれる時に真の習慣になるということです。僕は少なくともこれまで行動習慣だけに注力してきていました。しかし、一時的に習慣化されたと思っても、思考習慣が変わっていないのですぐに以前の生活に戻っていたのでした。
頭上に巣を作らせるな
考えてみれば僕がやめたいと思っている悪い習慣も現れは言葉や行動ですが、実際はその前に思考があることに気づきます。頭の中に入ってきたものを行動に移さないように早く除去するのか?刺激に対して直感的に反応するのか?はすべて思考です。
聖書には誘惑が来るのは避けられないとありますが、この御言に関して、ある牧師先生はこのように言っていました。「鳥が自分の頭上を飛ぶのを人間は止めることはできない。しかし、鳥が頭上に降りてきてそこに巣を作ることは止めることができる。」
その間に空間がある
僕はこのたとえ話を聞いた時、頭を思いっきりぶん殴られたような気になりました。僕の中にやってくる悪い思考を僕は頭の中で放置して育ててしまっていたのです。先のたとえで言えば、頭上に巣を作ることをゆるしてしまっていたのです。
また、「七つの習慣」という書籍には、人間の思考は刺激と反応だけがあるのではなくて、その間に空間があると言っています。つまり、刺激に対して直感的に反応しなくてもいいのです。
悪い思考を野放しにしない
これをクリスチャン生活に応用するならば、誘惑(刺激)が入ってきた時に、ワンクッションをおいてその空間で主に助けを求めることだと思います。そうすれば必ず行動(反応)が変わります。
まとめると、悪い行動習慣を変えるには、まず思考習慣を変えなければなりません。そして思考習慣を変えるには、悪い思考を野放しにしないことです。野放しにしない方法は主に助けを求めることです。
空間で主に助けを求める
僕は驚くほど意志薄弱で忘却力がすごいので、紙に書いた三つの悪い習慣を毎日見て、空間で主に助けを求める生き方を実践したいと思っています。