0991_クリスチャンのくせに嫁さんの重荷を負わない旦那

Contents

土曜日の出来事

先日失敗したことがありました。その日は日曜日の前日で僕は翌日の礼拝の司会の奉仕を控えていました。必要な準備としては、事前にわかっている聖書箇所を読み込むこと、新聖歌で賛美する賛美を楽譜通り歌えるように練習すること、新聖歌の賛美の引用元聖書を開いて確認するなどがあります。

しかし、それ以上に大切なのは、この礼拝で神様が何を望んでおられるのかを祈って知ることです。それは説教者である牧師先生の役目だから司会者はやらなくていいという方もいらっしゃるかもしれませんが、司会者も同じく主がその礼拝で何をされようとしているのかを祈り求める必要があると考えています。

急遽CSの説教

ですので、だいたい土曜日の夜は祈る時間なのですが、21時くらいに平安が心が落ち着かなくなることがおきました。それは、翌日CSはないと嫁さんに言われていたので、僕はCSの説教の準備を何もしていませんでした。しかし、嫁さんが教会のCSの先生とやりとりをする中で、僕が説教担当だということがわかったのです。

それを嫁さんに言われた時、僕は「今更ゆわれても準備できてないし、そもそも明日は礼拝の司会だから祈らないといけないからできない」ときつくゆってしまったのです。そうすると、嫁さんが「私するから大丈夫」というので末っ子根性で、そのままお願いしたのですが、僕の心には平安がありませんでした。

お叱りを受ける

しばらく祈っていると、「なぜあなたがやらないのですか?」と声が聞こえてきた気がしました。さらに、「なぜ、重荷を負わないのですか?」と言われた気がしました。確かに嫁さんは今朝体調が悪くて寝込んでいたのです。神様がそういうなら、仕方がないと思って、嫁さんにやっぱり僕がやるから大丈夫と言いました。

普段は1週間ほど前から、例話や伝え方などを考えてPPTの資料に落とし込んでかなり入念に準備するのですが、もう21時半なので、細かく考えたりPPTを用意する時間もありません。それだったら、祈ったほうがいいと思いました。

他の人の重荷を負うこと

すると与えられている箇所で、ピンポイントで一つの道筋ができたので、これでいこうと思いました。PPTこそありませんでしたが、聖霊が働かれるなら言葉だけでも大丈夫だろうと信じました。

当日、礼拝の司会が終わってからCSの説教をしましたが、個人的には両方やって本当によかったと思いました。神様から「自分さえよければいいのですか?」と教えてもらったからです。イエス様には重荷を負ってもらっても、人の重荷は負いたくないと思う僕は本当にやばい人間ですので、神様に厳しめにしつけてもらおうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)