0319_月曜日の仕事が終わって思うこと

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知らないだけ

本当に毎日イエス様に助けられて生かされていることを実感しています。聖書でイエス様は「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。ヨハネ15:5」とおっしゃっていますが、個人的にはなかなか理解できる言葉ではありません。なぜなら、自分で仕事もできるし、おまんまも食べれるし、それなりに教会の奉仕もできるし、生活できていると思えるからです。

しかし、それが一人でできていると思っているのは大いなる勘違いで、実は「彼女に穀物と酒と油とを与えた者、またバアルのために用いた銀と金とを多く彼女に与えた者は、わたしであったことを彼女は知らなかった。ホセア2:8」とあるように、すべての物を与えてくださっているのは主なる神様です。今生きているのも、何かを持っているものも、すべて主から出たものであって、それに気づいていないだけです。

知るだけでなく頼れる人

日常の引力に引かれていくと、ついこの原理原則を忘れてしまいそうになります。聖書には明確に、「いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。コリントⅠ4:7」と書かれています。すべてのすべてである、すべての源であり、命である主イエス・キリストから与えられているものです。

自分ひとりで生きているように思えても、実は主が助けてくださっています。しかし、その知識だけでなく、主がぶどうの木であって、私たちがその枝であり、枝が幹から切り離されると枯れて命がなくなることを日々実感している人はもっと幸いな人だと思います。自分自身は、主なしでは生きていけないのが事実なのです。

自分は非力である。自分には何もできない。ただ主が共にいてくださるなら、生きることができると思えるような生き方がしたいです。

月曜日の始まり

一週間走り終わると、また翌週から走りださないといけない。何か試練が終わるとまた次の試練があります。しかし、そのような繰り返して、心も体も疲れそうに思ったとしても、主なる神様が繋がってくださっていて、栄養分、命をたっぷり与えてくださいます。それは、イエス・キリストにあって、主につながっているからです。

月曜日でまた仕事の日々が始まりますが、主の命をたっぷり頂いて今週も走りぬきます。