ねたみ、うらみ、そねみから「キリストを十字架につけよ」と懇願した当時の宗教的指導者たちは、晴れて、イエス・キリストが十字架にかかっている光景を見て、勝利を確信したことでしょう。そして、これで宗教的立場が脅かされることもなくなるので安堵したと思います。
彼らの勝利の宣言はこういったものでした。
「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え」
「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」
彼らの勝利の宣言は、罵りと嘲笑でした。
はっとさせられるのは、自分もこの宗教的指導者たちと同じでないかと思うことです。
キリストの尊い言葉や約束をないがしろにしていないか、僕は「当時は〜今は〜」だとか、「どうせ〜」だとか、「時代に合った〜」だとか、見えるものによってキリストの言葉をばっさり切ってはいないか。
わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、わたしたちは心強い。
コリントⅡ5:7-8(口語訳)
コリントⅡ5:7-8(口語訳)