聖書の言を覚えること
クリスチャンの誰もがそう思っているかもしれませんが、聖書の言葉を覚えることは読む以上に重要だと思います。教会などでは聖書の通読や特定の箇所の通読期間などがあったり読むことは強く推奨されていると思いますが、こと覚えることには関しては個人に委ねられているように思います。
もちろん、聖書を覚えることが目的になると本末転倒です。覚えることが目的であっても将来的にその蓄えられた御言が人生に大きな影響を与える場合もあると思いますが、それは遅効性であり、日々の糧にはならないと考えています。
聖書の言を覚える動機
しかし、主に近づきたい。主をもっと知りたい。主と深い交わりがしたい。主の命に満たされたい。主の霊の言葉によって養われたい。主の前に聖く生きたい。という心の飢え乾きから聖書を覚えて、祈り、黙想すると魂がとても恵まれます。
聖書にはこのような言葉があります。
若い人はどうしておのが道を
清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、
それを守るよりほかにありません。
詩篇119:9
わたしはあなたにむかって
罪を犯すことのないように、
心のうちにみ言葉をたくわえました。
詩篇119:11
僕自身が若い人の部類に入るかは別にして、聖書の言葉を守ることと、さらに罪を犯すことのない生活に聖書の御言を心のうちに蓄えることは有用だということです。
ボイスレコーダー方式の効能
昨日は、ノート方式を使った御言を覚える方法を書きました。今日は少し他の方法をおすすめしたいと思います。僕は以前、覚えたい御言をスマホアプリのボイスレコーダーに自分の声で御言を吹き込んで、通勤中でも聖書の言に触れられるようにしていました。
このボイスレコーダー方式は一定の効果があると思われます。なぜなら、繰り返し聞き流しているだけで御言を音で吸収できるようになるからです。メロディーを覚えるようにとまではいきませんが、「これが来たら次これが来る」というような感じで覚えられるようになります。
しかし、最大の欠点は、御言を深く味わうことができないということです。覚えたい御言をぶつ切りに録音してり、それが連続的に再生されるので、文脈のキャッチや深い黙想などができないからです。
今採用している方法
通勤途中に聖書を読めたらベストですが、満員電車ですとそういうわけにもいきません。僕が今採用している方法はこれだ!と思った先生の説教をYoutubeで聞くことです。これで、御言の理解が深まったり、霊的な目が開かれたりするので、御言を覚える助けになったりします。
みなさんもいい方法があればぜひ教えてください!