0583_現時点で一番いいと思っている聖書の言を覚える方法

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聖書の言を覚えること

ここ数か月は過去に覚えた聖書の御言のメンテンナンスと新しい御言の記憶に取り組んでいまます。これまでは聖書に線を引いて付箋を貼って指定の御言葉にアクセスしていました。

しかし、上記方法は反省点も結構あり、今日は反省点と改善点を共有したいと思います。

付箋方式の改善点

まず、付箋方式で直接聖書にアクセスする方法の最大の欠点は、ペラペラめくる作業が必要になることです。聖書箇所が5か所とかだとそれほど労力も感じないですがアクセス箇所が30件とかにもなってくると結構ストレスに感じることがありました。週に1回ペラペラとかだといいかもしれませんが、通勤前の朝に繰り替えし30回めくるのは結構無駄な気がしました。

そこで、当たり前かもしれませんが、ノート方式をとりました。割と多くのクリスチャンの方が覚えたい御言をノートに書き写して覚えておられると思います。僕が実施した改善策はノートを開いた左のページに過去に覚えた御言を書いて、右側に新しく覚えたい御言を書く方法です。

これでしたら、過去の御言のメンテナンスと新規御言の認識も明確になりますし、今日は新規御言のみを暗唱しようと思えば、右側のページだけを見てペラペラめくればそれでOKです。この方法がかなりしっくりきていて大変満足しています。

書くことによる効能

あと、ノートに書く利点としては、書くという運動を通して御言に触れることができ新しい発見があったりします。例えば今朝はヨハネⅠの1章を見てみると、口語訳聖書には「いのちの言」という表現があります。

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――
ヨハネⅠ1:1

まず、ことばをあえて、言葉と表記せず、「言」と表記しているのは朽ちない永遠の神のことばを表現するためだと言われています。仮に、「言葉」としてしまうと言の葉が想起され、やがて朽ちていく人間のことばを意味するようになるからだそうです。

つぎに、「いのち」ですが、僕は今朝横着してこの「いのち」を「命」と漢字に変換してノートに書き写しました。しかし、書いて読んでみると「命」とした場合、動物的な生命を想起してしまうことに気が付きました。キリストが与えるいのちは肉体の生命ではなく、霊的な体のいのちです。ですので、ここでは、いのちを「命」と書いてしまうのはよくないと学びました。

皆さんももっといい聖書の御言を覚える方法があれば教えてください!

おっさん
■御言を覚えるのは楽しい

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