恐ろしいニュース
先日ニュースでこんな記事を見ました。ある中学校で学生がタブレット端末を学校に忘れたそうです。それに気づいた教師が職員室に持ち帰り保管していたそうなのですが、大きな問題がおきます。実はそのタブレット端末は録音アプリが起動していたのです。
タブレット端末は教員から持ち主である学生に返却されたのですが、学生はアプリが録音していた声を聞いてしまうのです。そこには職員室で教師たちが特定の学生に対して主観的な意見を述べていたそうなのです。学生はその録音を複数の学生に共有し、その録音を聴いた学生が不登校になってしまったというのです。
人の心は偽る
ニュースには具体的にどのような内容が録音されていたかは書いていませんでしたが、おそらく、特定の学生へのネガティブな感情や批判や不平不満などが多分に含まれていたことは想像に難くありません。
学生からすると信頼していた教師の表の顔を裏の顔にショックを受けたに違いないのです。表の顔ではみんなを愛しているように接していても、裏の顔ではボロカスに言っているという事実。
大人になれば、世の中そんなもんだと片付けられるかもしれませんが、まだ10代半ばの中学生からするとこれからの人生を左右するほどに躓いたに違いないのです。
自分にも身に覚えがある
これは僕にとって他人事ではありません。なぜなら、僕も一貫性のない人格を持ってしまいそうになることがあるからです。その人の前ではいい顔していても、陰ではその人の悪口を言いたいという欲望が沸き起こってくることがあるのです。
「僕は悪くないから、あの人が悪いから、言う権利がある」とでも言わんばかりに、不平不満を噴出したくなることがあります。しかし、それは先の教師と何ら変わることがありません。
表の顔と裏の顔があるのです。
自分に帰ってくる
もし、人生そんなもんだよというのなら、きっと一貫性のない自分に苦しむことになるでしょう。そして、自分自身がそうであるように、他人も自分のことを陰でボロカスに言っているのだろうと恐れるようになります。それは、聖書にあるとおり、「あなたが裁くそのはかりで、自分にもはかり与えられるであろう」と全く同じです。
もし、誰も自分のことを陰で悪口を言っていなくても、自分自身が他人の陰口を言うことによってそれは自分に陰口を言っているのとなんらかわりないのです。
七つの習慣という本には、このように書いてあります。そのように生きれるように祈りたいです。
「目の前にいない人に対して忠実になる」