0606_伝えたいことは最適な時に適切な言葉で相手に伝えよう

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言いたいことを伝えるタイプ?

皆さんは、言いたいことをぐっとこらえるタイプでしょうか?それとも、言いたいことがあれば、できるかぎり伝えるタイプでしょうか?個人の体験上、言いたいことを伝えない場合、その場はうまく繕うことができますが、結果的に大きな問題をあとに残すことになると思っています。ようは問題の先送りなのです。

たとえ、言葉に出さなくても気持ちは腹に残り続けます。もし、その言葉が澱のように心の底に溜まっていくならば、何かの拍子で噴出したりするのです。

もしかしたら、ある人は、「たとえ言いたいことがあってもそれを神様のところに持って行って、ネガティブな感情が自分に残らないようにする」といった人もいるかもしれません。しかし、それは人間関係で解決すべきことから逃げているような気もするのです。むしろ、神様に祈ることによって伝える勇気や寛容な心を頂いて相手に伝えるほうがいいと思っています。

伝えたかの問題

もちろん、何でもかんでも言いたいことを言うのはきっと面倒な人と思われることでしょう。しかし、感情任せではなくて伝えておくべきことを最適な時と場面で、適切な表現で伝えることは非常に有益です。人間関係を正しい状態に戻し、人間関係を円滑にし、混乱に秩序をもたらすことができるのです。

言いたいことをきちんと伝えないことは、思春期に反抗期のなかった子供に似ているかもしれません。ぐっとこらえて、親や先生の前ではいい子を演じていたとしても、保護者や監督者の管理下にいなくなったとたんにタガが外れて、いい年をして羽目を外すというのです。表面上は何の問題がないように見えていても、心の中には様々な気持ちが溜まっているのです。

感謝の気持ちこそ伝えるべき

言いたいことを伝えるというのは、何もネガティブなことばかりじゃありません。むしろ、感謝の気持ちや愛する気持ちこそ、腹に押しとどめずに伝えたほうがいいのです。きっとわかってくれているだろうと思っていても、意外に伝わっていないものです。以心伝心をあてにしてはだめなのです。

それは、神様との関係でも同じです。思うところをぐっとこらえて天の父である神に遠慮しているのは正しい神様との関係じゃないと思います。教会で表面上はいい子に見えていても、もし、心の中で、不平不満や愚痴などが心の中に溜まっていくならば、きっといつか爆発して教会を離れることにもなりかねません。僕の周りでも多くのそういった人を見てきました。

だから、日常生活における人間関係であれ、信仰生活における神様との関係であれ、伝えることはとっても重要だと思います。

おっさん
■気持ちを伝えるのは恥ずかしかったり、怖かったりすることもあるが絶対に伝えるにこしたことはない

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