0604_絶対にきかれる人生を豊かにする祈り

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きかれる祈り

皆さんの祈りは神様にきかれているでしょうか?おそらく、きかれた祈りもあれば、現在も忍耐をもって待ち望んでいる祈りもあると思います。今日は、神様に絶対にきかれ、かつ人生を豊かにする祈りを自分の体験談から紹介しようと思います。

主を畏れることを教えてください

聖書に「主を畏れることは知識の始まり」とあるように、主を畏れることは信仰の土台です。主を畏れることをしなくなった時の末路は、旧約聖書にも新約聖書にも多く記載されています。ある時には、イスラエル人は主が共にいると勘違いしてしまっていて、敵のペリシテ人に敗北することもありましたし、ある人は代金を誤魔化して主に対して偽り、虫に噛まれて死んだというような人もいます。

祈りがきかれると

こんなの聞いてしまったら、「主って怖い!!」と思うかもしれません。しかし、それよりもこわいのは主を畏れないことなのです。「主を畏れることを教えてください」と祈ると、きっとまもなくしていろいろな課題や問題にぶち当たることになると思います。

そういったことを通して、自分の傲慢さや心の汚れを示されます。その一方で、主の聖さも知ることになります。そして、主を畏れることを教えられるのです。その過程では、これまで自分でも気づかなかったあらわにされなかった自分の醜さや汚さにショックを受けるかもしれません。しかし、それを主の前で悔い改める時に真にへりくだり、主を畏れることを教えられ、主との正しい関係に入り、交わりが回復するのです。

その交わりとは、ヨハネの手紙にかかれています。

すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネⅠ1:3-4

日々続く

「主を畏れることを教えてください」という祈りは一回祈って体験して終わりというものではなくて、日々、通らされる道です。日々、主の似姿に変えられるために、少しづつ内面から造り変えられていくのだと思います。そして祈りが変わっていきます。主が聖なる方でおられるように、自分自身も聖い者になりたいと思うようになります。

そして、きっとこのように祈りが変わると思います。

私の罪を示してください。
私の汚れを示してください。

僕自身、自分で意識している罪深さがある一方で、自分でも意識できていない罪があるのを知っています。もっと言うと、わかってはいるけれど変えるつもりがない罪です。頑なになっている罪、これくらいはいいだろうと思っている妥協の罪であったりします。

愛せない思い

一例をあげるとを愛せない思いです。具体的にいうと偏狭な思い、受け入れたくない思い、ゆるしたくない思い、自分がおれたくない思いなどです。自分はすべての人を愛せていると思っていても、多くの場合、心を探られると愛せない人が一人や二人はいるものだと思います。

私が愛せていない人を教えてください。

主は御心に沿った祈りを必ず聞いてくださいます。主はご自身を愛する者、またご自身の聖さにあずかりたいと思っている人のこういった祈りを聞かないはずがないと思っています。こういった祈りの過程は苦しいかもしれませんが、そこを通る度に主により一層近づくことができるのです。

今日も祈ります。

私が愛せていない人を教えてください。

おっさん
■主の御心に沿った祈りは絶対にきかれる

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