チョコザップの広告
今日通勤電車内でチョコザップの広告が目に入りました。そこにはこのようなキーコピーが書かれていました。
「変わったのは、はじめたから」
チョコザップをはじめることによって運動習慣が身につき、ダイエットに成功し、健康な身体を得て変わることができたという訴えだと思います。このコピーを見ていた時に、これはクリスチャンも同じだと思いました。それはこういうことです。
「変わったのは、求めたから」
変わった人とは求めた人
これは僕自身の体験でもあり、聖書で書かれている事実でもあります。あえてこういう書き方をします。人は聖書を読んだからと言って変わるわけではありません。また教会に来ていれば変わるわけでもありません。また、イエス様について知れば変わるわけでもありません。変わった人というのはイエス様に出会った人です。そして、それは例外なく、「求めた人」たちです。
これは僕の主観的な考えではなく聖書を見れば、はっきりとわかります。ザアカイはイエス様のことを噂で聞いただけではなくて、実際にイエス様のところへ行きました。何とかしてイエス様に出会いたくて木にまで登りました。また、サムエルの母であるハンナは主の前に心を注ぎだして祈りました。それは彼女が切実な思いで主を求めていたからです。
私はキリストにあってできるのです
なぜ、聖書を読んでいるだけでは変わらないのか?それは、パリサイ人や律法学者が証明しています。たとえ主に関して知ったとしても、それを心で受け入れなければ、決して主を知ることはできないからです。またたとえ、崇高な聖書の教えをすべて頭の中に叩き込んだとしても、それを行う力は人間にはありません。聖書を読めば読むほど自分にはできないと思います。そこで、主を求めます。
「私はあなたの御言に従いたい。しかし、私には到底できません。しかし、私はキリストにあってできるのです。」
この信仰告白は人を主に近づけます。そして聖書にある通り主は本当に、求める者に得させてくださり、探す者に見出させ、門を叩く者に開けてくださるのです。
求める者を探しておられる
主は能動的主体的に自主的に自立的に、自分の意志をもって求める者を探しておられると思います。きっとすべてのクリスチャンはこういうでしょう。
「変わったのは、求めたから」
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる。
エレミヤ29:13-14