0494_良好な習慣が完全に崩壊してしまった

変化が多い日々

ここ数ヶ月は職場でも家庭でも、色々と変化が多く、自分への負荷が許容量を超えてしまっている気がします。変化の多い日々によって、自分が大切にしていた日常のルーティンは壊れてしまいましたが、これは今まで自分が良いと思っていた習慣が実は完璧ではなく、よりよいものに再構築する必要があるからです。

特に、クリスチャンはすべての出来事に主がゆるされたから起こっており、すべての出来事に意味があり、さらに主は共におられて、かならず導いてくださると信じています。だから日々の習慣も再び立て直していただくために主が崩してくださったのです。

良好な習慣がなくなる時

正直、良好だと思っていたルーティンが継続できなくなることは自分への約束を達成できないので、自尊心が毀損されてしまいました。しかし、クリスチャンにとって大事なのは自分の自尊心じゃありません。大切なのは、主ご自身の心です。

クリスチャンとして再考させられているのは、本当に主を愛しているのか?主の愛の中にとどまっているのか?そして、それを1日24時間の中で実際に行動として表しているか?ということです。自己成長、自己成長ばかり注視していて、口と言葉だけで、主のことを語って、本心は主のことは二の次になっていたのです。

本当に大切なこと

幸いなことに今は悔い改める機会が与えられ、さらに身体的にも精神的にも霊的にも、祈らないとやっていられない状態にしてもられました。今までなら、それなりに1日問題なく過ごせていたが、僕はまだまだ、御霊にも御言にも満たされておらず、修行が足りない?ので、朝、感謝で目が覚めるということはなく、1日対応しないといけないことが、ずんとのしかかってきます。

しかし、そういった切実な重荷と思われるものは、僕を朝1人部屋に閉じこもる祈りへと導いてくれました。36歳のおっさんが、1人、今日も助けてくださいと部屋でひれ伏して祈っているのです。

もう一度立て直す

元来の僕の自我の性質は、自分でできると思い込みたいことです。しかし、自分がやったと思っていたことも、主が助けてくださったことです。自分が持っていると思っていることも、実際は主が与えてくださったもです。

今一度、主の愛にとどまること、そして、主を愛し、それを行動で表していけるよう、主ご自身である御霊で満たされることを最優先事項としてルーティンを作っていこうと思っています。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネ15:5

おっさん
■良い習慣が崩れる時は、さらに良い習慣を築き上げる時

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