これ俺じゃね!?
最近は通読で士師記を読んでいます。まだ序盤の数章しか読んでいませんが多くの学びを得られています。出エジプト以降、モーセ、ヨシュアと偉大なリーダーが続きましたが、それ以降は比較的小粒(僕がそう思っているだけ)のリーダーがイスラエルを治めるようになります。イスラエルの民は好き勝手に振る舞っては苦悩し、主を呼び求めるということを繰り返す生き方をしていました。
僕は思いました。「ちょっと待って。これ俺じゃね!?」と。なぜなら、日曜日には主を呼び求めますが、平日はほとんど好き勝手に生きている時期が僕には長かったからです。今はそういった生き方から脱却しようと取り組んでいる最中です。
小粒のリーダー
次に小粒のリーダー(士師)たちの活躍を見ます。彼ら彼女ら士師たちは、イスラエルの民の叫びが主に届いたことにより主によって遣わされて者でした。しかし、彼らが治めることができたのは40年や30年ほどだけでした。その期間が終わると、またイスラエルの民は好き勝手に振る舞うようになったのです。
この期間は何を意味しているのでしょうか。これは一つの世代のことです。30年から40年経つと一つの世代が終わり、次の何も知らなかった別の世代が起こるのです。仮に40歳で主に召されたとしても40年仕えたらもう80歳で高齢です。士師もいつまでもイスラエルを治めることはできなかったのです。
僕は現代の教会の姿も全く同じだと思いました。大切なのは祈ること、語り継ぐことと、背中で信仰を見せることだと思わされました。
しるしを求めること
最後は今朝読んだギデオンを見ます。彼は主に召されて以降、何度も主のしるしを求めます。そしてしるしがあったら確かに主の言だと確信して実行に移すことができたようです。それに対して主は何の咎めもされていません。ギデオンは信仰があったからこそ、主はそのしるしをしてくださるはずだという確信があったのだと思います。
一方、新約聖書でイエス様はしるしばかりを求める姿勢に対して否定的な立場をとっておられます。しかし、信仰からくるものでしるしを求めることは決して悪いことではないと思わされました。
ギデオンの信仰
ギデオンは非常に信仰深い人物であったようです。ギデオンはアブラハムと同じように時々に祭壇を築くことをしていました。ある時は「主の平安」と名付けたりしていました。ギデオンが特別な理由は、士師記において、ギデオンの記述が他の士師よりも圧倒的に多いことからもわかります。
今日は彼がなぜ信仰深かったのか?というヒントが少しわかった気がしました。ヒントは彼の父であるヨアシにありました。なぜなら、彼も非常に信仰深い人だったからです。つまり、ギデオンは信仰深い父のもとで育てられたからこそ同じ信仰があったのだと思います。
ヨアシの信仰
ギデオンは主の命を受けて、イスラエルの民が祭っていたバアルの祭壇、アシラ像を切り倒します。それに対してイスラエルの民は苦情をヨアシに申し立てるのです。普通ならイスラエルの民を恐れるはずです。しかし、ヨアシは毅然とした態度でこのように言い返すのです。
しかしヨアシは自分に向かって立っているすべての者に言った、「あなたがたはバアルのために言い争うのですか。あるいは彼を弁護しようとなさるのですか。バアルのために言い争う者は、あすの朝までに殺されるでしょう。バアルがもし神であるならば、自分の祭壇が打ちこわされたのだから、彼みずから言い争うべきです」。
士師記6:31
この信仰がギデオンの基礎になったと僕は思いました。聖書は本当に面白いです。