1170_3パターンの信仰者

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パターン①

信仰生活はある人にとっては容易なもので、ある人によっては困難なものだと思います。容易、困難と二つの軸から見た場合、さらに3つに分けられると思っています。まず容易だと思っているパターンです。

パターン①は、そもそも信仰の戦いをする気がなくクリスチャンであっても世の中と同じように生きている人です。そのような人は最初から霊的な戦いに負けてしまっているため、霊的な攻撃を受けないから容易だと思うのです。

パターン②

パターン②は、自分自身ではそもそも霊的な戦いに勝つことはできない、誘惑にも勝つことはできないと徹底的な自己否定の中を生きており、日々、全幅の信頼をもって主にゆだねて生きている人です。こういう人は自分を信頼せずに主によって勝利ができるため容易だと思うのです。このように生きている本物のクリスチャンのことはヨハネの手紙に書かれています。

神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。
ヨハネの第一の手紙5:3-5

パターン③

パターン③は困難だと思っている人です。それはヤコブの手紙でいう二心のものです。自分の欲望も大切だし、主の心も大切だと思っている人です。例えば平日は自分の好きなように生きて、自分の好きなように時間もお金も使っていますが、日曜日だけ教会にはしっかり来て主の為に行きたいと思っている人です。

ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。8そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。8そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
ヤコブの手紙1:6-8

たしかに日曜日に教会に行って奉仕はしている。そして確かに主が必要だと思っている。主を愛したいと思っている。しかし、それは自分の全人生である必要はないと思っている人です。

今どの状態か?

僕自身はクリスチャンホームで育ちましたが、自身が個人的にイエス様に出会う体験をするまではパターン①の生き方でした。信仰の戦いもなくそもそも不戦敗の状態でした。そして、今はパターン③の状態です。困難だと感じていますが、なんとかして打率を上げたいと信仰生活で苦闘している状態です。パターン②を目指して生きている状態です。

しかし、今のままでいいとは思っていません。パターン②である。完全に主にゆだねる生き方がしたいとずっと願っています。今自分が個人的に示されているのは、「捨てる」ことです。時間の使い方、お金の使い方など断捨離をして本当に大切なことだけを残していくということをしないといけないと思わされています。

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