創世記は読みやすい
先日は、最近イザヤ書と創世記を読んでいると書きました。今日は創世記を読んでいて教えられたことを書こうと思います。創世記は非常にドラマチックで壮大です。アダムとイブから始まりノアと続きます。そして、信仰の父であるアブラハムからイサク、ヤコブ、ヨセフと信仰を受け継いだ者たちのダイナミックな信仰を物語を通して知ることができます。
特に以前は自己中心的で人を欺く者だったヤコブが生ける神様に出会い、様々な試練を通る中で内なる人が変えられていく様子は僕にも希望を与えてくれます。そして、クライマックスの兄エサウとヤコブとの和解のシーンは何回読んでも涙なしには読めないです。
心に刺さった言葉
ヤコブが変えられる中で彼がこのように祈っているシーンがありました。これまでも何度も読んでいた箇所なのですが、今回はこの御言が妙に心に残ったので暗唱聖句することにしました。
あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。わたしは、つえのほか何も持たないでこのヨルダンを渡りましたが、今は二つの組にもなりました。
創世記32:10
まさに僕自身こそがあなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。であります。
本当に僕は人格的に著しく欠損がある者で、社会においては不適合者であります。僕のことを知らない人はそんな自分を卑下するのはよくないと言われることもありますが、それは事実であるので過度な卑下でもなんでもないのです。
古き自分
僕を幼いころから知っている人は家族などはそれをよく知っています。また母教会で一緒に奉仕をしていたメンバーたちもよく知っていると思います。とにもかくにも、本当にこの御言のとおりなのです。
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
コリントⅠ1:27-28
この世の愚かな者、この世の弱い者、この世で身分の低い者や軽んじられている者、無きに等しい者が僕です。だからこそ、僕はヤコブの祈りが自分のものとして感じられたのです。
あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。
創世記32:10
ただただ主に栄光と賛美をお返しいたします。