平日の可処分時間
このブログのサブタイトルは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」としています。このようにサブタイトルを掲げているのは、僕自身が今それをできていないからです。掲げるようになって、目線が上がり、主と共に歩む中で少しずつ変わってきていると思いますが、まだまだその途上にあります。
以前は日曜日は主と共に歩んでいましたが平日は主と共に歩んでいませんでした。その証拠に僕は平日の可処分時間の多くを自分のために使っていました。聖書は読んでいるけど良くも悪くも習慣的で宗教的な生き方になってしまっていました。
生きたイエス様との交わり
しかし、30代後半にさしかかり、このままではいけないという危機感を覚えました。それ以降、平日の信仰生活に重点をおく生活改善を今もずっと続けてチャレンジしてきています。その過程では律法主義になったり、宗教的で義務的な信仰生活になることもありましたが、今は以前と比べたらだいぶん、生きたイエス様との交わりに重点をおいた平日を過ごせるようになってきたように思います。
ここで最も重要なのはイエス様との個人的な関係です。この関係が希薄になればほぼ間違いなく宗教的な信仰生活になってしまいます。イエス様がすべてであり、赦しも信仰も恵みも愛も喜びもすべてイエス様から来ます。なぜなら、イエスさまこそがすべてのものに満ちておられるお方だからです。
わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
ヨハネによる福音書 1:16
微差の積み重ね
以上はキリスト教信仰の教科書的な回答です。そこで、他にも大切な考えを書こうと思います。それは「微差の積み重ね」ということです。出エジプトしたイスラエルの民はマナを毎日取りに行かなければならなかったように聖書を読むのも毎日の微差の積み重ねです。また暗唱聖句も微差の積み重ねです。読み溜め、覚え溜めはできません。
イエス様との関係も同じです。日曜日だけ交わるのではなく、特別な集会で満たされることを求めるのではなく、日々主との小さな交わりが大切です。この小さな小さな微差の積み重ねを毎日続けるとどうなるでしょうか。最後に微差の積み重ねに関する大好きな画像を張り付けて終わろうと思います。
