1079_38歳にして終活を始める

次の20年への仕込み

僕は先月で38歳になり、いよいよ終活に向けて本格的に動き始めています。10代や20代の頃は時間がたつのが比較的遅く感じられ、自分はいつまでも若いと思っていました。しかし、30歳になってからは年の取り方が加速度的に増していき、いよいよ自分も40歳手前という状況に追い込まれています。

40歳手前で終活とは早いのではないかと思われるかもしれませんが、残り20年わずかで60歳になることを考えると次の20年に対する仕込みを「今」しないといけません。自分の生は神の手に握られているものですが、とりあえずは70歳で死ぬことを前提に人生設計をする予定にしています。

人生折り返している

そう考えると、38歳とはすでに人生折り返していることになります。だから本格的に自分の人生をどのように歩んでどのようにクローズさせるのかを真剣に考えないといけないと思っています。それはほとんどつまり「今」の時間やお金の使い方に集約されます。本当に大切なものは何か?後悔しない生き方とは?などを自分の大切な価値観に照らし合わせて自問自答をしています。

と書きつつも、自分の大切な価値観はほとんど毎日といっていいほどぶれるものです。だからこそ、聖書を読むことが必要であり、戸を閉めて一人で神様に祈って神様と対峙する時間が必要です。

魂はいつまでも若い

先日思ったことは、人の見えるところは確実に老化するが人の魂は老化しないということです。おそらく多くの年配者に聞くと同じ答えが返ってくると思いますが、人は誰でも気持ちはいつまでも若いものです。見かけが80歳くらいのおじいさんでも気持ちは20歳くらいだという人が多いのだと思います。

もちろん、老化によりまた身体的な衰えにより20代のように動くことはできないと思いますが、魂はやっぱり老けないんだろうと思っています。

日々新しくされる喜び

そう考えると聖書の価値観は本当に素晴らしいと思います。なぜなら、見えるところによるものは一時的であり、見えない世界が永遠に続くという教えだからです。もし見えるところによって歩むのであれば、年老いた不自由のある体が本体ということになってしまいます。

しかし、聖書はキリストにあって内なるものが日々新しくなるとあります。つまり、体は日々衰えていったとしても新しくなるものがあるということです。これは本当に大きな言葉に尽くせない輝きに満ちた希望であり、喜びだと思います。

そのことに感謝しつつ、神様が何を望んでいるのか?に耳を傾けつつ、歩んでいきたいです。

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