0916_福音書の弟子たちの失敗や古い性質を見て自分を慰めようとするクリスチャン

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聖書のビフォーアフター

新約聖書はイエス・キリストの生涯が様々な視点から書かれた福音書から始まって使徒の働きやパウロの手紙、そして黙示録で終わります。そこに登場する人物はほとんどみな、イエス・キリストに出会う前と後が明確に記されています。

そして、そのビフォーとアフターで人は変わっているのですが、人が変わる出会いとは決して肉体をもったイエス様との出会いではないように思います。聖霊の働きによって真理を知る(イエス様を知る)ことで人は変わっています。

霊においてイエスを知る時

イエス様が十字架にかかられる前、確かに12弟子はイエス様を知っていました。しかし、真理に基づくところでの深い意味で、イエス様をまだ知っていませんでした。聖書に書かれているとおり福音書でイエス様が語られた言葉を彼らは悟っていなかったようです。

彼らが本当の意味でイエス様を知ったのは、真理の御霊が来た時でした。つまり、ペンテコステの日に聖霊が彼らに臨まれた時彼らは過去にイエス様が語った言葉を悟ったのです。

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
ヨハネによる福音書16:13

人が変わる時

この弟子たちのビフォーアフターは驚くべきものです。弱かった者が強くされ、卑しい者が栄光ある者となりました。またかつて激昂していた者が寛容な者となりました。高慢な者が真に謙遜な者となりました。恐れていた者が勇敢な者へとなりました。さらに死を恐れていた者が死を恐れなくなりました。

しかし、僕自身はもちろんこのビフォーアフターを知っていましたが、これまで間違ったマインドを持っていました。それは僕はビフォーばかりに注視して自分を慰めていたのです。それは、聖書に書かれている弟子たちの失敗や古い性質を見て、自分の弱さや失敗を正当化するようなマインドです。

ビフォーだけを見ている

その一方で、弟子たちの輝かしい性質には蓋をして目を背けるような生き方をしていたように思います。それは、心のどこかで僕には無理だと決めつけていたのでしょう。しかし、聖書は言います。

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
使徒行伝1:8

ほとんど無意識のうちにしていた弟子たちの失敗や弱さを見て自分を慰めるという下向き、後ろ向きなマインドをもうやめようと思います。弟子たちが生きたような神の御心にかなった、神に喜ばれる生き方を本気で求めようと思います。

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