何に何を学ぶか?
現在様々なAIツールがありますが、AIは開発によって生み出されるものではなく学習することによって生み出されるものです。それが機械学習といわれているもので、何を学習させるか?または何を教師とするか?によってAIのすべてが決まります。
例えば、今は画像生成AIとしてstable diffusionが有名ですが、stable diffusionはオープンソースで誰でもこれを使って様々な素材を学習させることができます。学習には様々な変数があり、うまく学習させれば希望通りのものが生成される確率があがります。あくまでも確率が上がるだけで100%自分が望むものが生成されるとは限らない点がAIの難点でもあります。
学習内容でアウトプットが決まる
例えば、生のstable diffusionに対して「日本のアニメ 萌えキャラ 喫茶店」などと呪文(プロンプト)を書いてもほとんどうまく生成されません。素材として日本のアニメを大量に学習させることでイメージに近いものが生成されるようになります。
コミックといってもマーベルコミックなどのアメコミのテイスト、韓国の縦読み漫画の雰囲気、日本のアニメとは大きくことなるのでそこの微修正が必要になります。
人は誰に何を学ぶか?
AIに学習させる素材と教師によって出力が決まると同じように、人間も当然のように何を学ぶか?誰から学ぶか?ですべてが決まります。何を学ぶかに関しては、レイヤーの上のほうの技術的、知識的なものから、本質的な原理原則的なものまであります。
最も汎用性が高いのは本質的な原理原則的なものです。これは学校の道徳の時間に学ぶようなことが多いです。感謝の気持ちを忘れないようにしよう。相手の立場になって考えよう。などこういった原理原則が学ばれていると出力が質が異常に高くなります。
原理原則が優先される
仮に技術的にも知識的にもずば抜けていたとしても人として難がある場合、業務一つ一つの出力は際立っていても会社全体の出力としてどうかは疑問が残ります。
聖書にはこう書かれています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイ11:28-30
これはクリスチャンだけに書かれているものではなく、全人類に対する神様からの言葉です。イエス様が「わたしに学びなさい」とおっしゃっています。そして学習素材であるイエス様の言行はすべて聖書に書かれています。
それを学ぶことがすべての原理原則よりももっと人生に対して汎用性の高い学びとなると思います。