神の下僕
先日、通勤電車で聖書を読んでいる時にこの言葉が書かれていました。
わたしは彼らに答えて言った、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。
ネヘミヤ2:20
これはエルサレムの神殿を再建をなんとかして阻止しようとするやからたちに対して、ネヘミヤがした信仰告白です。この御言はすぐに僕のお気に入りになり今週の暗唱聖句に決めました。この御言の好きなところは、「天の神が我々を恵まれるので、我々は奮い立って築く」というのではなく、「そのしもべである我々」となっているところです。神様と人類の関係は多面的ですが、僕は主人と下僕という関係をつい忘れてしまいそうになるので、リマインドとしていいと感じました。
主従関係が逆になるマインド
神様は愛なるお方、憐れみ深く情け深く怒ること遅く慈しみ豊かなお方です。しかし、人間関係にもバランスがあるように、もしそのご性質だけを見るようだったら、もしかしたら、主従関係が逆になってしまうかもしれません。
簡単に言えば、何をしても神様は優しいんだ。だから自分のやりたいようにしよう。というマインドです。これは主従関係が反転し自分が神を利用する態度です。特に旧約聖書をないがしろにして新約聖書ばかり読んでいると誰でもそのようになるリスクがあると思っています。僕自身はお調子者で高慢な者なので、神の下僕という言葉が僕を本来の正しい場所に戻してくれます。
神がまずしてくださった
また、この御言を思い巡らせていた時にこのようなことも思いました。それは、「僕が何かをする以前に、まず神様の側から働きかけてくださる」ということです。ネヘミヤは我々は奮い立って築くので天の神が我々を恵まれるとは言いませんでした。まず、天の神の恵を受けたのです。
それは、イエス様も同じです。イエス様は僕たちがまだ罪人であった時に十字架にかかってくださいました。また、人が神を愛したのではなく、まず神が人を愛してくださったとヨハネの手紙にも記載されています。
人間側に求められるのは神に対する態度
自分が何かをするから恵まれるというのではないのです。しかし、だからといって全部神任せてクレクレという信仰態度も正しくないように思います。大切なのは上述したように、神の下僕として神の前にへりくだることだと思います。何かをすることよりも、もっと大切なのは態度です。
神はその態度を見て恵んでくださるのだと思います。