0216_良き友と良き師

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我が青春に一片の悔い無し

先日平日に休みをもらって高校時代の男友達5人で1泊2日の温泉旅行に行ってきました。僕にとって高校時代は、最もみずみずしくて刺激的な時間を過ごした時期でした。人生で最も繊細で多感な年ごろに良い友だちに出会えたことは恵みのほかなく、出会わせてくださった神様に感謝しかありません。

ひたすら目立つことが好きだったメンバーとはバンドを組んでライブハウスでライブをしたり、好きなバンドのライブを見に行ったり、深夜の街に繰り出してブレイクダンスをしたり、河川敷で朝方までしゃべり続けたり、遊ぶことに関して一切の休息はなかったと思います。本当に我が青春に一片の悔い無しといった気持ちです。

共通記憶から花が咲き乱れる

数年ぶりに再開した友人たちには知る人ぞ知る大量の濃厚な共通記憶があるので、話に花が咲くどころか、花が枯れ種が落ちて、また花が咲く、それを延々と繰り返しているようなひとときでした。

20年も前の出来事にもかかわらず、圧倒的で強烈な体験ばかりだったので、その一瞬一瞬を映像だけでなく空気感などすべてを脳裏で完全に再生できるほどの記憶が残っているのです。

僕が彼らにあって一番うれしいのは、彼らが20年前と同じように会う度に良い刺激を与えてくれることです。彼らから得られる気づきは非常に多く、僕にとっては、尊敬できる師のような存在でもあります。

我以外皆我師

高校時代の友人はほんとに特別な存在ですが、生きていく中で出会うすべての人も特別な人です。豊かな人生を生きるためにはこのような心持ちがよさそうです。古くからこのような言い方があります。「我以外皆我師」(自分以外のものはすべて私の師)

また聖書にもこのようにあります。

何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
2:3-4

出会うすべての人は自分より優れた人であり、自分の師です。時には、いや往々にして違和感を覚える人や理解できない人に会うかもしれません。しかし、そこで批判的になってしまうと負の感情に認知がもってかれるので、豊かな人生を送れなくなってしまいます。

聖書には、自分には梁があるのに、どうして他人の目からちりを取りさせてくださいと言えようかとあります。要約すると、自分の目には粗大ゴミなみの大きなゴミがあるのに、どうして他人の目からホコリほどのゴミを取らせてくださいといえますか?ということです。

今一度、自分の粗大ごみをイエス・キリストに除去していただき、すべての人を自分より優れたものとして見れるようにしていただきたいです。