0217_部屋に閉じこもって祈ること

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おっさんが正座して目をつぶっている異様な光景

あまりこういった副次的な効能を言うのは好きじゃないのですが、仕事をする前に部屋にこもって15分ほど祈る時間をもつと、1日の仕事のパフォーマンスがすごく上がるのを感じています。もし、誰かが勝手に扉を開いて覗くなら、そこには、おっさんが正座して、目をつぶり、ぶつぶつつぶやいている異様な光景しかありません。

しかし、それは聖書に書いてあるとおりの方法なのです。

あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
マタイ6:6

「知識」と「実行している」との間にはとてつもない差があります。上記の聖書の言葉を自分の生活に落とし込んで、実行してみる時に聖書の言葉が血となり肉となります。理性は効率を求めてしまうので、「こんなことして何か意味があるのか?朝は忙しいしやめておこう。聖書を軽く読んだから大丈夫。通勤電車で目をつぶって祈ろう。最悪、ふろ場で祈ればいい。」などと色々と言い訳をつけたくなります。しかし、結局通勤電車で何をするかと言えば、スマホを見ているだけになったりするので、自分が情けなく感じることがあります。

弱さを誇ろう

人間は誰でも何らかの弱さを抱えて生きていると思います。それはほとんどの場合、他の人にはわからないものです。自分のことを一番よく知っているのは神様ですが、その次は自分自身です。自分自身の弱さは無理して他の人にさらけ出さなくてもいいと思います。それは神様が受け入れてくださり、助けてくださいます。朝、部屋に閉じこもり祈ることで自分の弱さを克服できるのは、仕事ができない僕への神様の憐れみのほかありません。

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
コリントⅡ12:9

だから僕がよく思うのは、もし、万が一、僕を人格的にポジティブに捉える人がいるならば、それは僕を見ているのではなく、弱い僕の中にいる強いイエス様なんだと思っています。外側の皮は僕自身ですが、中身は汚い飼い葉おけにお生まれになったイエス様なのです。

イライラしないことの効能

朝祈ることによって、これから始まる一日に立ち向かうことができます。漠然と多くの仕事を目の前にしてしり込みしそうになっても、俯瞰的に見て細切れにして、一つ一つこなしていくことができます。また、キャパがオーバーしそうな時に、他の人から急ぎの仕事を振られてもイライラしなくなったりするのを感じています。

同僚やお客さんと仕事で接する中で感じているのが、みんな仕事でストレスを抱えているだけでなく、イライラしているということです。みんなイライラから脱却して心の平安がほしいはずです。

そんな時は、部屋に閉じこもって正座して、目をつぶり、こうつぶやいてみましょう。

「イエス様、私はイライラしています。どうぞ、憐れんでください。心に平安をお与えください。」