0138_岩の上に家を建てる賢い人

大阪市内などで住宅街を歩いていると分譲地などで一戸建てを建築している現場をよく見かけます。大阪市は水の都と言われているとおり、もとより地盤が弱く、昔の地図で見ると、実は以前は池があった場所などよくある話だそうです。そういった背景がある土地に家を建てるためには、いわゆる地盤改良が必要で、そうすると、たとえ、震度7度級の地震が来たとしても耐えられる住宅に立てあげるそうです。

聖書には岩の上に家を建てる人は賢い人という言葉があります。こういう人は例え、嵐が来ても、地震が来ても倒れないと教えています。聖書が教える、「岩の上に家を建てる」とは、つまり、神の言を聞いて行う人のことです。

聖書の知識はある。聖書の言も暗唱できる。では不十分です。行わなければ、賢い人ではなく、かつ嵐が来たときにひどい倒れ方をする生き方になってしまいます。

人は往々にして、自分の欠点や不足にはなかなか気づかないものです。「できている」と思いがちなのです。しっかり内省する時間を取れる人はきづけるかもしれませんが、日々の忙しさの中で、そういった気づきを得続けるのは簡単なことではありません。

おおよそ、聖書の言を聞くと、なんとなく守れているような気持ちになりがちです。僕も同じです。しかし、いざ日常生活を送ると、様々な感情が沸き起こってきます。イライラしてしまったり、幸せそうな人や恵まれている人をみると嫉妬の念が沸き起こってきたり、本当に情けなくなってしまいます。仕事において、個人的な生活において、ほとんど、自分の弱さを痛感する日々しかありません。聖人君主はいざしらず、人というものは何歳になっても、根本的な性質はあまり変わらないようにも思います。

そんな中でも、神の言を行えていない事実に気づくと、自然と自分の限界にも気づき、神により頼む祈りへと変えられます。行えるようになるように神の力を、そして、平安を、心の豊かさを、貧しい心だからこそ、豊かにあしらってくださいと祈ることができます。

岩の家に家を建てるために、神の言の上に人生を立てあげるために、神の言をまず聞き、読み、そして、なんとかして、へりくだり、弱きものであることを認めて、行えるように祈り求めます。