0324_自分が何をしたいのかわからない病

歩むべき道は?

おそらく誰にとっても進路や受験、就職などは、人生において大きな決断の一つになると思います。今年も1月にセンター試験が終わりましたが、受験生は1年に1回のこの試験に人生をかけるほどの努力をしています。受験は人生を決する戦いのようなものだと思います。

自分より若い人たちと接する中でよく感じるのは、進路や就職において「自分が何をしたいかわからない。」というものです。なんとなく、自分の実力にあった学校に進学し、なんとなく、3回生になったから、右に倣えで就職活動を始めるという感じです。

万事が益になる

僕の考えは、たとえ、自分が今何をしたいのかわからなくても、主が共におられるなら、一歩歩けば必ず次の道が開かれるということです。信仰によって、主に支えられて、励まされて、力を与えられて、行動して、点を大量に打ち続けることをとめてはいけなのです。必ず、その点が線となり、面となり、神の御心が立ち上がってくるからです。

僕は意識低い系ですので、インターンや企業分析、さらには自己分析すらまともにやらずに就職活動をしました。そんな適当な就職活動でしたので、完全にミスマッチで、わずか3年ほどで退職してしまいました。それでも、今から思えば、そこの会社に入ったことは僕にとって重要で、今でもそこで学んだことが生かされていると感じます。

恵の時代のビジョン

といっても、はじめの一歩すら、怖くて全く手がつかないという場合もあるかもしれません。聖書にはこのような預言があります。

その後わたしはわが霊を
すべての肉なる者に注ぐ。
あなたがたのむすこ、娘は預言をし、
あなたがたの老人たちは夢を見、
あなたがたの若者たちは幻を見る。
その日わたしはまた
わが霊をしもべ、はしために注ぐ。
ヨエル2:28-29

旧約聖書の時代、神そのものである聖霊は一部の選ばれた人にしか注がれませんでした。たとえば、モーセやダビデなど大御所信仰者たちです。しかし、旧約聖書の預言書では、その後にその聖霊をすべての者に注ぐと約束されているのです。その後というのは新約聖書の時代です。実際にイエス・キリストが昇天されてから、12弟子だけでなく、求める者に聖霊が著しく明確にくだったという記述は使徒の働きに多数記載されています。

ここで重要なのは、「若者たちは幻を見る」ということです。英語では”your young men will see visions.”と記載されています。ここでいうビジョンとは神が僕たちを創造した目的に沿った僕たちの「あるべき姿」だと思います。言い換えると、神の御心を知るということになります。

使徒の働きのクリスチャンたちが求めた時に聖霊がくだったように、もし、現在においても心を尽くして、飢え渇いて、真実な心で主を求めるならば、主は必ず聖霊を注いでくださると信じます。