1298_「私をへりくだらせてください」という祈りは経験上100%きかれる

恵みに留まり続けることのほうが難しい

イエス様の恵みを知ることよりも、その恵みに留まり続けることのほうが難しいです。なぜなら、人間は簡単に恵みを当たり前のものと思ってしまうからです。もっとひどい場合は恵みそのものを忘れてしまうことだってあります。その証拠として、一度イエス様に救われたすべての人がずっとイエス様のところに留まっているわけではありません。

これは僕にとっての永年の課題です。なぜなら、僕は愚か者なので、簡単に主の恵みを当たり前に思い、時には主の恵みを忘却してしまうことがあるからです。しかし、それに対して何もできないわけではなく、いくつかの秘訣があることもわかってきました。今日はそのことを書こうと思います。

定期的に救われる前の自分の姿を思い出す

まずは、実際的な方法になりますが、定期的に救われる前の自分の姿を思い出すことです。理性によって思い出すことも重要ですが、聖霊によって思い出させて頂くことのほうがもっとよいです。

救われる前の自分の姿は一体どのようなものであったのか?どのような生き方をしていたのか?さらにもし救われていなかったら自分は今頃何をしているのだろうか?と自問することで、今ある主の恵みが立体的に立ち上がってきます。

イエス様を思いながらの一人散歩

僕は仕事が終わって夜家に向かって歩いている時によく思います。もし、イエス様に救われていなかったら僕には帰る家もなかったと思います。自分にできる仕事もなかっただろうし、常時不機嫌で周りに疎んじられるような生き方をしていたと思います。

しかし、今はイエス様の深い愛によって生かされていることを強く感じます。自分は本当にイエス様に愛されていると感じることができます。最近は特に夜は涼しくなってきたので、イエス様を思いながらの一人散歩がとても幸せに感じます。

へりくだること

つぎは、へりくだることです。へりくだらなければあっという間に恵みから落ちてしまいます。わざわざ口に出していわなくても、「あの人よりはましだろう」と高慢になったり、「あの人はあんなことをしている」と批判したりするようになると恵みは瞬時になくなります。

それは天の父がこのようにおっしゃっているからです。

いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす
イザヤ57:15

だから、このように祈るべきです。

「私をへりくだらせてください。」

経験上、この祈りは100%聞かれます。なぜなら、へりくだらせてくださいと祈ったら、自身の肉的にとってはかなりつらい、相当きつい出来事が起きてくるからです。しかし、それは無意味なものではなく、霊的にへりくだらせるために起きているものです。

たとえ、肉的にはつらくても霊的に恵まれるほうがはるかにいいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)