0325_聖書の言葉がないと神の国をイメージすることすらできない

魂が救われる体験

クリスチャンになる過程は人それぞれだと思いますが、おおよそ、多くの人にとっては、このようなものだったのではないかと思います。

まず、どこか、もしくは誰かから聖書の言葉を聞き、「この神様なら本当に自分を救ってくださるかもしれない」という予感が起こります。そして、藁にもすがる思いで主を切に求める中で、今も生きておられる主に出会う体験をすると、罪が赦されているということが実感に変わります。さらにもっと主のことを知りたいと思い聖書を読むと、それが確信に変わっていくのです。

過去のすべてが赦されているという実感は未来に向かって進む上で必ず必要な体験だと思います。なぜなら、過去の失敗や過ち、愚かさ、後悔、恥ずかしい思いなどは、体の中に少しずつ、蓄積されていき、腐臭を放ち、毒素を発生させ、ついには退廃的になるほどにまでの悪影響を与え続けるからです。

しかし、イエス・キリストの十字架の恵みによって、そういったすべての過去は抹消されました。

この世界のこと

その次の段階で始まるのが、現実と神の国との戦いです。現実は日常であり、目に見えるところであり、肉体であり、事実でもあります。しかし、神の国は、非日常であり、目に見えないものであり、霊であり、真実です。

肉体によってこの現実で生きている以上、この世の引力は凄まじいです。なぜなら、目に見えるところ、肉体の楽しみ、事実はありのままであり、踏ん張る必要も祈る必要もないからです。受け身のままで、なすがままに、流れるままに生きれるほうが楽です。そもそも、人間は易きに流れやすいものだからです。

神の国のこと

しかし、神の国は信仰を働かせなければなりません。さらに聖霊の助けにより目を開いていただき、神にすがりつき、神の国に自分をもっていっていただかないとなかなかこの引力の戦いに勝つことができません。パウロはこのように言っています。「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。5:7-8」

クリスチャンは、この肉体から離れて主と共に住むことを切実に、強く待ち望んでいます。主こそが神の国であり、居場所であり、平安であり、喜びであり、楽しみであるからです。

勝利の秘訣

この引力の戦いに勝つ方法はクリスチャンなら誰でも知っています。耳にたこができるほどきいてきたものでもあります。それは、聖書の言葉であり、祈りです。そもそも、聖書の言葉がないと神の国をイメージすることすらできません。イエス・キリストがどういったお方なのか?天の父の御思いはなんなのか?それを言語化して、明確に教えてくれるものが聖書です。さらに祈る中で、その聖書の言葉に聖霊が働かれ、目が開かれ、見えない神の国を霊によって、見えるようにさせてくださいます。

ですので、なんとかして、この引力の戦いに勝利し続けることができるように、御言を暗唱し、唱え、祈り、主に頼りつつ歩んでいきたいと強く願っています。