聖書の学び
先日、聖書の学びをしました。現在は夫婦で月に1度教会の牧師先生に学びをしてもらっています。テキストを使って輪読し関連個所の聖書を開いて学びをしています。僕はこの学びの時間がとてもすきです。なぜなら、普段自分の聖書の読み方には癖がついていると感じるからです。
また学びのその時間を空間も好きです。その空間の中でご聖霊が働かれて何を語ろうとされているのか?に対して自身の霊的側面を研ぎ澄ませて耳を傾けるとう時間が自分にとっていい矯正の時間になっていると感じています。
ノアのストーリー
先日はノアのストーリーから学びました。そこで2つのことを語られたので、それを共有したいと思います。一つ目は、ノアは自身で箱舟を作ってそれに入って救われたということについてです。ノアに語りかけたのは神様であり、神様がこれから起こると、箱舟の寸法などを教えられました。さらに動物が集まってきて、最後に箱舟の扉をしめたのも神様でした。
つまり、すべて神様から出たことであり、神様の主導なしでは実現できなかったことです。しかし、忘れてはいけないのは「確かにノアが手を動かして箱舟を作った」のです。へブル書にも書かれていますが、ノアは偉大な信仰者として数えられています。
誰もノアのように箱舟を作る必要はない
現代はどうでしょうか?当たり前ですが今は誰もノアのように箱舟を作る必要はありません。なぜなら、救いの御業は既に2000年前にカルバリの丘で成就したからです。そのことに僕は震えるほどの感動を覚えましたイエス様はノアの箱舟以上に困難な御業を成し遂げられたのです。もしイエス様の十字架がなければ、本来あり得ないですが僕は「自分の箱舟」を作らなかったのかもいけません。もちろん、その箱舟は救いに至らない全く意味のないものです。
しかし、憐れみ深い、恵み深い主は僕がそういったことをする必要がないように愛する独り子を賜ってくださって完全な救いを与えてくださったのです。これが恵みの時代の本質だと思いました。
神と共に歩むこと
次にノアは神様が命じられたことをすべてその通りに行いました。これは神様の一言一句すべて信仰によって受け止め、服従し実行したということです。現代はどうでしょうか?神様の一言一句はすべて聖書に書かれています。もしノアと同じようにこのように神様に言ってもらえるクリスチャンがいたら幸いだと思います。
「●●さんは、すべて神が言われたとおりにした」
しかし、現実は聖書のすべての言葉を完全に実行することはできません。人間は完全ではないからです。しかし、ノアが見えるものにではなく見えないものに目を注いで神と共に歩んだように、僕にできることは時々刻々と信仰の導き手でありその完成者であるイエス様を仰ぎ続けることだと思いました。
聖書の学びに感謝します。